核大国ニッポン
堤未果、小学館新書、2017、2010年に単行本
2899冊目
2018年7月「日米原子力協定」が満期になる。
物語は米国の「湾岸戦争症候群」と呼ばれる被爆症に苦しむ兵士たちの物語で始まる。
1999年末の調査で帰還兵50万4047名中、半数が体調不良、37%が就労不可能で9600名がすでに亡くなっていた。 29
湾岸戦争では320トン、イラクでは2200トンも使われた劣化ウランに関係するのではないか。
安い、硬い、便利ん「劣化ウラン弾」
見えない、臭わない、味もない、理想的な毒=放射性物質
帰還兵の抱える病と言えば、ベトナム戦争を思い出す。彼らが社会に不適応を起こして苦しむ姿は、ベトナム反戦にもつながっていった。
そのことを描いた『Tangled Memory』という本を思い出す。
湾岸戦争は、ベトナム戦争という負け戦の国家的記憶を塗り替えるものでなければならなかったし、そのようなものとしてお膳立てされたものだった。
しかし、湾岸戦争症候群は起こった。63
「記者たちが自由に出入りでき、情報がダイレクトに伝わったベトナム戦争と、軍による従軍記者の管理と、政府による記事の検閲が徹底されたイラク戦争。」
反戦運動は難しかった。
戦争開始とともに法人税が下げられた。
人権に敏感だった中流層が転落、貧困が拡大し、人々の心からゆとりを奪っていく。65
商業マスコミの果たした役割。
核を減らすには、まず核兵器そのものの定義を見直す必要がある。
劣化ウラン弾は、被爆症を引き起こす、まさしく核兵器なのだ。
それを認識するには、結果としての被爆者の現実をみること。69
そして、被爆国日本は裏切られ続けている。
2010年9月15日のネバダ州での核実験。
オバマ大統領の「核なき世界」というプラハ演説の裏切り。
子どもの白血病やがんが湾岸戦争終了後半年から増え始め、90年代半ばにはイラク全土に広がった。190
イラクは被爆国になったのだ。
1998年、インドとパキスタン両国で行われた核実験。2001年の『戦争と平和 非暴力から問う核ナショナリズム』はその時の熱狂を捉える。192
『はだしのゲン』を教科書に使っている人々。
被爆国日本として、「戦争はいけない」だけではダメなのだ。
『カウントダウンゼロ』2010年。
世界が被爆を目撃し、体験し、被爆の脅威が潜む場所は多様なのだということに気づいている。
二つの被爆体験国である日本、ヒロシマ・ナガサキとフクシマによって知られる日本が、こんなにも鈍感なのは、なぜなのだろうか。この二つの被爆はしっかりと「核廃絶の未来」に向けて結び付けられているのだろうか? 結びつけるというのはどういうことなのだろうか?
■東京新聞 2017年10月12日