大地の乱 成田闘争 三里塚反対同盟事務局長の30年
北原鉱治、御茶の水書房、1996
2892冊目
奇しくもわたしの誕生日に亡くなられた。2017年8月9日。95歳。
1966年に反対同盟の事務局長に就任、戸村一作代表の片腕として、活動。
反対運動は、社会党、共産党、地元の三者共闘で動き始めた。
1967年、「日本共産党、クイ打ち阻止で敵前逃亡」40
戦いはポーズだけ。
条件派の脱落。
1970年、同盟休校、少年行動隊。教師は引く。
1990年、公開シンポジウムが、支援小屋を取り払った時期に計画される。
1991年5月、公開シンポジウムを運営する学識経験者5人が決まる。隅谷三喜男、高橋寿夫ら。「労働者の味方をよそおって労働者の首を切る手先になる。」179
宇沢弘文らも、官僚の手の内で踊るピエロ。
脱落派の事務局長、石毛ひろみちも、「手打ち」だと。
しかし、実際には事業認定失効により二期工事が破綻。
この本は1996年の出版だが、その後2011年に不退去罪で逮捕など。晩年まで戦い続けた人。そして、戦いの勝利を信じ続けた人。
この10年前、1986年に出版された『三里塚もうひとつの日本』は、内戦だと。
三里塚と言うのは、参加型社会的合意形成の方法論を学んでいると、必ず、「この方法論は、三里塚の体験から生み出されたのだ」と言われたものだ。こんなにもねじれてしまった合意形成もないからだ。
『三里塚のイカロス』を見て、北原さんの手記を読んで見たくなった。
http://ericweblog.exblog.jp/237739828/
すごい本です。