全体主義の起源 

全体主義の起源 100de名著

第三回 「全体主義」


人が労働組合だとか、特定のつながりの組織に属することがなくなり、不安感が増すとともに、「世界観」を示してくれる政党になびいていった。それが全体主義。


アーレントの本の話を聞いていると、現代にも通じるものがある。


基本的に「個人の達成主義」が学校教育の目標となり、そのために高学歴社会では、人は孤独になる。個人対個人の競争になるのである。


課題を抱えた人々(社会的弱者)は連帯して様々な社会的配慮を勝ち取ってきた。

・障害者に対する年金(1959)

・同和対策事業特別措置法(1969)

・公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(1969年→公害健康被害補償法 (公健法)1973)

・養護学校義務化(1979)

・女性差別撤廃条約(1979年→日本は1985年批准)

・フリースクールの認可(2004)

・高校授業料無償化(2010)

・子どもの貧困対策の推進に関する法律(2013)


結果、対策も進んだが、同時に対策の官僚化も進み、特別法人、公益法人の世界は、天下りの温床であり、かつ、助成金を獲得しているものも多い。


当事者運動に支えられて社会的な援護策が講じられてきた結果、『母よ、殺すな』の出版のように、過激な当事者運動は影を潜めていく。学生運動と同期して盛んであった三里塚闘争も『三里塚のイカロス』に描かれるようにレクイエムが流れる状況である。


新たな問題提起があっても、それらの当事者は、これまで以上に細分化され少数になるだろう。それらの問題提起が通るか通らないかは、その時の官僚次第となるのではあるまいか。


一方で、被差別者の連帯は「安易に全ての被差別者の連帯を強調することは、かえって差別を隠蔽してしまうことになる。」というような上野千鶴子さんの指摘もあるが、実際には当事者たちは生きていくのに大変で、連帯などできないのだ。


それはNPOなどにしても同様だ。ほとんどブラック企業すれすれであるのに、連帯して状況を打開する動きにはなりにくい。NPOで働く人々が高学歴者であることも一因かもしれない。彼らは、結局は孤独なミドルクラスなのだ。


一方で、特に社会的弱者の問題をより普遍的な課題として、「全ての人の人権が保障されるような社会制度づくり」へと、普遍的な提案をする動きもある。ベーシックインカムの議論などはそれにあたるのだろうが、運動力は弱い。それは市民社会論やESDのような公益的な教育論議も同様である。当事者運動のような突破力もなければ、そのような問題に対する幅広い支持を集めるだけの民度もない。


一方で、「北朝鮮の脅威」のようなナショナリズムを帯びた主張は、わかりやすく、一定の割合で支持され、そして「否や」は言いにくい状況を簡単に作り出すことができている。


不思議だ。これは、全体主義の復活の兆しなのだろうか?



■孤独な群衆

268-2(1165)孤独なボウリング 米国コミュニティの崩壊と再
ロバート・パットナム、柏書房、2006
Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community, 2000

http://ericweblog.exblog.jp/7459630/

■孤独なミドルクラス

ミドルクラスを問いなおす 格差社会の盲
渋谷望、NHK出版2010

http://ericweblog.exblog.jp/15658451/


376-1(1607) イェルサレムのアイヒマン悪の陳腐さについての報
ハンナーレント、みすず書房、1969
原著19631965

http://ericweblog.exblog.jp/11702254/


94-1(437) 従の心理 アイヒマン実験
S.ミルグラム、河出書房新社、1980.1995改訂版
Obedience to Authority: An experimental view, 1974 by Stanley Milgram

http://ericweblog.exblog.jp/2124985/




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by eric-blog | 2017-09-19 14:41 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
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