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「旅する蝶」のように ある原発離散家族の物語

「旅する蝶」のように ある原発離散家族の物語

岩真千、リベルタ出版、2017

2867冊目


あまりにもアタフタとした行動に、小さい子供を抱え、身重の妻をどう守るかという課題を突きつけられた著者の動揺が、かえってひしひしと伝わってくる。


311日の地震、そして原発事故の発生から、放射線被ばくへの懸念、そして発表される企業、行政、専門家などに対する不信。


ガイガーカウンターもない、しっかりとした知識もない、しかし、危険性については聞いてきている。


場所は宇都宮。


米軍関係者で沖縄に在住している義父の誘いに乗る形で、315日、タクシーで成田へ、そして羽田へ。お金がかかっても命には変えられない。残っていた最終便に滑りこむ。


しかし、実母と再婚した義父とが暮らす家は、認知症の祖母を見とるために同居している家。家族のための別室がある訳でもなく、気詰まりな「避難生活」が始まる。


仕事のために宇都宮に戻る著者。後に「それって単なる育児放棄じゃない?」と指摘されるものの、大学でも課題満載。震災で影響を受けている学生たち、一学期をどのような形で開校するのか、などなど、やることは湧いてくる。


自宅の周りの人々はほとんど避難していない。子どもに弁当をもたせただけで白い目で見られるような、放射線に対する無防備さ。



行政が言っていることを信じているわけではない。しかし、みんなが受忍しているのであれば、それは一緒に受忍しようよ、という論理なのだろう。その結果、問題が起こったならば、その時もまた「みんなで一緒に」問題提起したらいいじゃないか。地域の団結はその交渉力のためにあるようなものなのだ。


ということなんだろうなあと、改めてこの本を読んで思った。もし、幼い子どもや妊婦を逃すというのであれば、それはコミュニティの決定としてそうするべきなのだと。


今、ふと思ったが、そんなコミュニティが一つもなかったことが、そのタイプのコミュニティとその長の資質の限界なのだろうなあ。


学童疎開という決定ができなくなった。


本当に、気恥ずかしいぐらい、夫婦喧嘩あり、親戚との断絶あり、罵り合いあり、迷いあり、いじめあり。


著書は、2015年、来年三月から栃木県南部の小さな町に越す決意を妻に告げるところで終わる。


あれほど著者の「避難する」という決定を批判し、育児の全てを彼女に背負わせていることを罵ってきた妻は、沖縄の人間関係に支えられ、乗り越え、明らかに成長しているなあ。すごい人だ。


Weの連載の一つに「取り乱し性風俗アフター」というのがありましたが、それに通じるものを、男性著者が書いたものに感じるのは、とても不思議な感覚だ。



by eric-blog | 2017-08-24 14:56 | □週5プロジェクト17
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