デモクラシーを<まちづくり>から始めよう
竹井隆人、平凡社、2013
2740冊目
『ストロング・デモクラシー』
『ゲーテッド・コミュニティ』
『集合住宅と日本人』などなど、訳書、単著共に面白そうなリストが並んでいる。結構、硬派な本なのですよ、この本も。
哲学は難解である必要はないけれど、複雑なことをわかりやすいように言うのも間違いだと、あとがきに言う。わかりやすい善悪二元論と単純愚劣な正義は糞食らえと。288
哲学とは「疑うこと」である。
立命館大学で行った「都市環境法制」での講義内容を中心に、「シャッター通りに賑わいを取り戻せ」だの「高層建築を規制しろ」だの偽正義に騙されるなと学生を育てるために、政策や法制度の限界や欠陥をとらえ、改善の手かがりを掴めと、叱咤する。
2013年の書であるがこう看破している。
「自然エネルギーの効率が向上しなければ、そして事業者に思うほどの利権が入らなければ、その頃には原発事故の災厄も風化していることもあって、原発推進を再開する可能性は高いのではないか」と。25
電源三法を超える税制はあるのか?あるいは地域の民意を塞ぐこれらの法律は変わったのか?
原発事故の本質は人々が統治者になり切れていないデモクラシーの失敗であり、まちづくりの失敗であると。
シャッター通りについても、その核心は税制にある。商店主の多くはバブルの時の上がりでアパート経営をしており、家賃収入を赤字の商店経営との兼業で通算する。節税できる。
この税制は土地利用の減退をもたらす「死重的損失」に相当し、社会全体に損失が生じている。生活にコマわないからシャッターを下ろし続けている商店街を救う必要などあるのか? 42
大店法も同じ死荷重を犯している。
著者は「商店街を周辺住民が丸抱えで共有し、共同経営するような」提案をする。商店も社会資本として、公正な競争や商品を選ぶ自由を制約する。
いま、上原きみ子元市長が訴えられている国立市高層マンション問題についても一章が割かれているが、街の合意作りの甘さと曖昧さが指摘されている。
第二部は東日本大震災で言われた「コミュニティの絆」について。
コミュニティは共同体なのか、仲良しなのかと。
偏狭性の「仲良し」、コミュニティ信仰による思考停止。135
同調圧力。
公益を思う情感が「みんな一緒」と言う暴力で持って醸成される懸念を指摘したい。137
ただ同調することは思考停止。コミュニティはある種の強制を働かせる「暴力」となる。
住民参加が社会的合意なのか。
仲良し専制。
都市は人々の孤立性と統合性の両義的な存在。203
統合性とは、まちの共用する施設やサービスを自ら治めていくことで成立する。205
そのようなゲーテッド・コミュニティの市民。絶え間ざる集団的意思決定が政治。
わが国では分譲マンションの管理組合。町内会は住民全員じゃないからね。
あははははは!
何がデモクラシーを阻んでいるのか?