ERIC NEWS 533号 ともによりよい質の教育をめざして  2017年3月20日

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ERIC NEWS 533号 ともによりよい質の教育をめざして  2017年3月20日

ESDファシリテーターズ・カレッジ! すべての学びを参加型で!

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(文責: かくた なおこ 角田尚子

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twitter : kakuta09  FBもやってます。)

N女の研究」なるものがあるそうだ。NGO/NPOで働いている女性のライフログについての研究だ。生涯N女なわたしも40代の頃にNGO/NPOで働く女性たちに集まりを呼びかけたことがあった。しかし、続かなかった。貧乏だったから、集まった時の飲食代も出すのが惜しい人もいたかもしれない。

しかし、それよりも高学歴なN女たちは、まさしく「孤独なミドルクラス」だった。学歴が高く、自分の能力で次の就職先を探さなければならない。能力主義的なようでいて、狭き門である研究職や高等教育機関は学閥、コネ、口利きが幅を利かせている世界。互いがたがいのライバルであることに代わりはなかった。

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不思議なことだ。NGONPOは、渋谷望さんが指摘するような社会状況にこたえ、そのような時代状況を乗り越えるためにあるのではないのか?


一人一人の思いは強くとも、連帯には至らなかったということか。いや、何を連帯すればいいのかがわからなかったのだ。それぞれの団体の運営は独裁政権から巨頭体制、合議体など多様であったし、「女たち」の平場の組織は少数の中心的人物によって動いていたのは事実だ。


時代の動きの速い時は、流れがわからないものだ。


ビジョン系の公共的投資を開拓してきたはずのNGO/NPOだが、それらの予算がどんどん権力的配分のパイに取り込まれていくのを見ているいま、権力闘争に加担するのではなく、改めて、ビジョンを示し続けることの意味を重く受け止めている。N女歴30年超の感慨である。

◆◇◆533号 目次◆◇◆


◆◇◆1. TEST2017「問う心」を育てる=世界を疑う

◆◇◆2. ESDファシリテーターズ・カレッジ2017 のご案内

◆◇◆3. by ERIC 在庫処分2016! レッスンバンクもチェック!

◆◇◆4. with ERICこれまでの活動



◆◇◆1.  TEST2017「問う心」を育てる=世界を疑う ◆◇◆

 2016年度も、個人的に研修やワークショップに参加して新たな学びがありました。新しい学びと自分自身の実践をふりかえりつつ、次年度に備える。そんな時間がTEST教育力向上講座の時間です。


 今年は「問う」技術。Making Questions Workという佐藤宏幸さんが紹介してくれた本から「三つの原則」

http://ericweblog.exblog.jp/23034578/

と『たった一つを変えるだけ』の著者のワークショップからQFT質問づくりの技法を取り入れて行いました。

http://ericweblog.exblog.jp/23722910/


記録はこちらから。

https://www.dropbox.com/sh/nnepmp8zhsl7yjq/AABYDNvaMC7PICt1Dry_HLlta?dl=0


実は一番面白かったのは終了後のファシリテーターのふりかえりミーティングでした。QFTQFDの構造に忠実であろうとしていなければ、やったであろう「問う」ことについて「12のものの見方・考え方」で迫るものでした。もちろん、その分析で出た内容は、それまでの二日間の議論を踏まえたものであったので、最初にやるのとでは全く異なるないウヨであることは間違いがありませんが、やってよかったです。


TEST教育向上講座の初期の形を覚えている人たちは、まずは自分たちが共に考えたい内容を出し合い、一つずつのテーマについて2時間のセッションで共に考えるためのプログラムを工夫するやり方を覚えているでしょう。アダプト・ア・セッション方式です。今も、このやり方でやりたい気持ちは満々ですが。


QFT質問づくりはまさしく「問い」からネクスト・ステップにつなげていくものですから、それをファシリテーター育成の二日間の構造にするとすれば、初期のTESTの形を取らざるを得ないと思います。


「問う」の同義語は「質問」「疑問」「問題」など。

英語ではていずれもQuestionで、ダンさんのワークショップでもそのことについて質問が出ていました。


今回、「問う」について、連想図、因果関係図、対比表、マトリクス分析で分析して発見したことは、羅列すると次のようなことです。


・「問う」側に主体がうまれる。

・問われた側は「疑われた」と身構える。自分の世界にしがみつく。

・通常、人は完璧な世界で生きている。「問う」ことはその世界にほころびを見出すことである。

・「疑われた」側は自分を正当化しようとする。疑う人間を排除する。

・マイノリティが「問う」側になるのは、弱者にとって世界は完全ではないからである。

・完璧な世界に生きている人は、その完璧さを尊重してほしいと願う。疑うべきところなどどこにもない。

・「問う」姿勢として、大切なのは、「共通の課題」あるいは少なくともなんらかの「共通の利害」があると信じて、問うことである。「疑う」「問いただす」というような問われた側に自己防衛を強いるものではない。

・ここで「問う」ことと、ファシリテーターとしての「健全さ」が関わってくる。

・「問う」ことは傷つけることである。世界をほころびさせることである。健康さとは傷つきから回復できることである。世界のほころびを見つめてなお安全で安心でいられる場と関係を作り出すことが、ファシリテーターの役割なのである。


なんて、とんでもない二日間を過ごしてしまった。わたしが骨折していたせいである。そこから「傷ついても回復する健康さ」の共有が始まった。骨折り損のくたびれ儲けでなかったことを祈る。


自己紹介のアクティビティは『ひと文字のキセキ』を使いました。


http://ericweblog.exblog.jp/23733781/


まだまだ報告したいことはいっぱいあるけれど、左手が悲鳴をあげてきています。口は達者なんだけどなあ。


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by eric-blog | 2017-03-20 17:30 | ERICニュース | Comments(0)
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