アール・ブリュット アートNIPPON

アール・ブリュット アートNIPPON

保坂健二朗監修、平凡社、2013

2831冊目

日曜美術館で紹介されたしょうぶ学園のヌイ・プロジェクト。衝撃的だった。

http://www.shobu.jp/nui.html

そして、この本でも紹介されているNO-MAは滋賀県近江八幡市にある。

http://www.no-ma.jp

田島征三さんがともに制作活動に関わった信楽青年寮の活動『ふしぎのアーティストたち』

http://www.shigarakikai.or.jp

わたしが驚いた陶器の作品はこちらのものなのか?

著者の一人でもあるはたよしこさんは、絵本作家であるが、「すずかけ作業所」で共同制作を続けている。こちらは兵庫県。

http://www.ichiyou-kai.or.jp

日曜美術館では「アート・ブリュット」自体についての番組もあったんだなあ。

http://iejima.dreamlog.jp/archives/51712397.html

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0620/index.html

アーティストにとって、どうやって食べていくかが課題だが、キュレーターでもある保坂さんは「支える」ことの大切さをゴッホの例を引きながら語る。155

しかし、わたしはつい最近BSで放送された『炎の人』での印象は、テオが十分な経済的支援をしていたようには見えない。少なくとも家族を養えるだけのものは出していないのだ。それは、画家が求め続けている「愛」を遠ざけるものなのだ。そんな風に満たされない画家の表現を、画商としてのテオは求めたのではないかとすら、映画を見て思った。あの俳優の影の薄さと黒っぽい服装のせいかしら?

ここまでわたしが紹介したアート・ブリュットは障害者施設の入所者によるものなので、「支える」という意味では、彼らは問題を抱えていない。純粋に、自分の心の赴くままに、自分にあった表現手段と出会えれば、その表現を開花させることができるのだ。

三人に一人が詩人を自称するロシア。

芸術家を支えるアーティスト・ベーシック・インカムのような仕組み。156

今は転換点なのかもしれない。

Brutとは生のこと。

ダウン症の人たちの表現は「アート・イマキュレ」無垢なと言われる。

中沢さんは保坂さんとの対談の中でいう。

グローバル資本主義の世界に飼い慣らされることのない私たちを獲得することとプライマルな心の表れとしてのアートは同じもの。141

アトリエ・エレマン・プレザントの出会い。

http://www.element-present.com/html/project.html

「ここには闘争がない」と中沢さんはいう。143

天使と悪魔ですら闘いだと、中沢さんは、言う。

日曜美術館の番組では鹿児島のしょうぶ学園の理事長が、「彼らにとって大切なのは秩序ではなく、矛盾のないこと」なのだと、そこに彼らの表現が、わたしたちの中にあるものを揺さぶる共通点があるのではないかと。

面白い! 闘争とは秩序をめぐる戦いなのだ。

秩序だった世界を「平和」と捉えれば、闘争は終わらない。

草間彌生さんしかり、ニキしかり、山下清しかり、

芸術家の集中力は、常人を逸しているし、逸しているところが表現になっているように思う。

「ありえなさ」の驚き以上にそこには人間としてのプライマルなものに響くものがあるのだ。

病院とアート・ブリュットとのコラボもそのためなのだろう。

健康とは秩序ではなく、矛盾のないこと。どう、この定義?

矛盾のないことというのは外からの判断のこと、ではなく、ね。


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by eric-blog | 2017-06-30 12:18 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
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