文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた150年

文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた150

辻田真佐憲、文藝春秋、2017

2819冊目


『大本営発表』など、戦前戦中のプロパガンダについての著書を多数出している作家さん。

http://ericweblog.exblog.jp/23501803/


教育勅語をありがたがる保守派も、批判する側も、「パッケージ」で考えていて、是々非々で議論できていないと指摘する。


明治時代の後半にはすでに見直しが考えられていた教育勅語を、今もありがたがる人々がいることに呆れながら、批判する側も全否定だけでは議論にならない。


議論にならない状態になっていることはわかるのだが、ではどうすればいいのかという提案ではなく、歴史的に積み上げられてきた議論を紹介するにとどまっている。


文部省そのものが、解体も叫ばれてきたのだ。教育の政治利用が進んだ時代にあっては内務省に牛耳られ、いままた首相官邸・内閣人事局に牛耳られる。そんな三流官庁に未来はあるのか? とも言えるのだ。


それはさておき、「理想の日本人像」の探求には二つの方向性が影響し続けているという。

グローバリズム 普遍主義 国際主義

ナショナリズム 共同体主義 国家主義

世界の価値観を基準とするのか、「日本」の価値観を基準とするのか。

「日本」という共同体の歴史と責任を担うのか。



戦後について言及している第四章以降を見てみよう。

区分は1945年から56年  文部省の独立と高すぎた理想

56年から90年  企業戦士育成の光と陰

91年から現在  グローバリズムとナショナリズムの狭間で


文部省の方向転換については「人間宣言」の検討が紹介されている。

全文を紹介しているので、ネットから探しておく。

官報 号外 昭和二十一年一月一日

詔書


茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直 面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神 話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命 ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又 産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ 恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。

御名 御璽

昭和二十一年一月一日

http://minamuraria.sakura.ne.jp/uragorurin38gou.html


現代語訳も出ています。


1947年、内務省の廃止と文部省の「独立」しかし、その時「教育基本法」が示した理想の日本人像は、普遍的だった。普遍的すぎて、あまりにも空虚であった。160


そして、GHQの方針転換。


内務省のエースであり、戦後公職追放され、その解除を経て参議院議員に当選、1953年に文部大臣に就任した大逹茂雄は、「山口日記事件」をきっかけに日教組への攻勢を強めた。

1954年、中教審は「教員の政治的中立性維持に関する答申」を出す。教育二法が可決された。55年体制と地方教育行政法案の強行採決。172

教育委員会法の廃止。175

教育委員が自治体の長による任命制に。


日教組に対して

勤務評定の実施 1956年から

道徳の特設1958(昭和33年の学習指導要領改定により)

学力テストの実施1961年、第83代文部大臣荒木万寿夫による。


日教組の運動の「力」に頼った脆弱さも際立った。188


1974年「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教員職員の人材確保に関する特別措置法」(人確法) 30%アップ 201


教頭職の法制化や主任制の導入。

1975年、日教組の組織率55.9%に。


1989年、学習指導要領の改訂、国旗国歌を「指導するもの」とする。215


6


1995年 自由主義史観研究会、1997年新しい歴史教科書をつくる会。221


1999年 国旗国歌法


2000年 教育改革国民会議 小渕首相のもとで。225

2002年 心のノート

2006年 教育基本法、改訂。240


理想の日本人像は、いずれかのイデオロギーの暴発を防ぐためにも、機能するはずだと、著者は言う。


まともな議論ができる国へと。


最近、ご学友が叩かれまくっている安倍総理の「学閥弱者」具合が可哀想になってきているわたしです。ま、自分のやりたいことの動かし方が稚拙なんですけどね、「岩盤」の学歴の壁に阻まれているようにも見える。だって、これまでの文科省行政が良かったはずがないじゃない。




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by eric-blog | 2017-06-20 11:55 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
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