人間の終わり バイオテクノロジーはなぜ危険か
Our Posthuman Future—Consequences of the Biotechnology Revolution
フランシス・フクヤマ、ダイヤモンド社、2002
2641冊目
「権利とか尊厳とかいう言葉を使うのはやめにして、こう言いたいものだ。人間は欲求を持つ。我々は人間の欲求にこたえるべきだ。」ジェイムズ・ワトソン122
人権研修で「人権」について考えるときのアクティビティがまさしくこれだ。
「欲しいもの・必要なもの・人権」
マジョリティとマイノリティ
研究者と被験者
権力者と国民
男性と女性
大人と子ども
肉体労働をさせる人とさせられる人
なるべく多くの人々のニーズが満たされる社会は安定した社会になるだろう。
しかし、そこに力の不平等があるときに、力の側のニーズがよりよく満たされるようになるとき、そのような力の使い方を「力の濫用」=暴力だとわたしは考える。
どんどん広がる格差に対しても、自分たちのニーズを優先する。自分たちの獲得しているものを手放すことができない。
そして、バイオテクノロジーの世界は、その格差を拡大すると著者は警告する。
金持ちは最も理想的な子どもをつくることができる。ハクスリーが『素晴らしき新世界』で描いたような世界だ。
http://ericweblog.exblog.jp/17553745/
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もう一冊が『1984年』。
遺伝子のプライバシー
薬物使用
胎児や胚
クローン
わたしたちが突きつけられる問いのリストは長い。
1994年『ベル・カーブ』は知能差の60-70%が遺伝子によるとする論文だ。
知能が高いほど報いが多い社会では、階層は知能に従って作られる。31
一方で40-50%という論文もあり、環境因子が大きい。ということは、より良い食事、教育、安全な環境、財産によって残り50%はあげられる。これこそが社会政策のゴール。35
薬の世界は、行動を支配し、寿命を延ばす。
人間とは何か?
本当の保守なんていないよなあ。