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ふしぎな部落問題

ふしぎな部落問題
角岡伸彦、ちくま新書、2016
2536冊目

部落差別はなくさなければならない。
しかし、部落が刻んできた営為はなくならない。歴史はなくせない。

第一章は被差別部落150年史。

なぜ部落差別は、他の差別と異なるのかについて「部落がなければ差別はなかった」しかし「部落がなくなっても部落差別は続く」ふしぎだ!
というところから、問題提起が始まる。

部落差別は、職業差別なのか?
部落差別は、地域差別なのか?
部落差別は、階層差別なのか?
部落差別は、それらの複合差別なのか?

部落差別は、人種差別ではない。
部落差別は、民族差別ではない。
部落差別は、性差差別ではない。
部落差別は、難病差別ではない。
部落差別は、障害差別ではない。

「部落」という属性は、他の被差別の属性と、何かが違う。ふしぎだ。

その問題提起に驚いた。しばらく意味がわからなかった。

そんなに違うだろうか? 

女性差別はなくさなければならない。
しかし、女性という性はなくならないし、わたしが女性であることに対する誇り、女性差別に対抗するために「スカート」を持たない・はかないことの選択をしてきたことへの誇り、フェミニスト運動の歴史に対する誇りはなくならない。

その「女性」を「部落」に変えても、どこの文章にも異和感をおぼえない。

それは、わたしが「女性」を引き受けているからだ。引き受けないという選択肢がないからだ。

そのことにやっと思い至った。

「部落」を引き受けないことができるのだ。「隠す」ことによって。

それは「水俣」差別、「アイヌ」差別など、言わなければわからない属性差別とどう違うのだろうか?

いま、生起しつつある「福島」差別はどうだ?

部落差別は引き受ける引き受けないかを覚悟する「アイデンティティ」差別なのか?

ならば「隠す」こと、引き受けないことの意味がもっと突き詰められるべきではなかったか?

著者の「ふしぎ」と思う感覚が、部落差別の特徴なのかもしれない。

差別を受ける人が、こんなに覚悟がないなんて、驚いた。

と書いて、「いやあ、女性差別を引き受けていない女性もいるだろう。隠すことはできないだろうけれど。」「覚悟のない女性なんていくらでもいるよ」。

だよね。ただ乗りする人もいるよ。足をひっぱる人も、いる。

そして、第一章は、インターネット時代になって、「どこ」の「だれ」が特定しやすくなっていくことを「ふりだしにもどった気がする」と結んでいる。

これも、ふしぎだ。

ともあれ、覚悟、引き受けの有無にかかわらず、部落差別の実態はある。

第二章は「ルーツ暴き」というメディアの問題を取り上げて、「部落」という出自が持つインパクトは何なのかを問う。部落差別の実態の一つだ。

野中広務さんは、出自を含めた伝記を書いた魚住さんに言ったという。「書いたせいで家族がどれほど苦しんだかがわかるか」と。しかし、彼は出版そのものを差し止めることはなかった。

第三章は「映画『にくのひと』はなぜ上映されなかったか」

満若湧咲さんの作品が巻き起こした騒動を追う。撮影には同意し、雑談の中で、自身に対する差別語によるジョークを言う場面もあったのに、公開となると家族や地域に対する配慮から反対になった人。

水平社宣言にも、謳われているのに、という議論は通らなかった。

第四章は北芝という地域の取り組みと、その取り組みを支えてきた人々を紹介している。この人たち、ポジティブ! 同和対策事業からの自立をはやくに志向し、地域に必要なサービスを提供する仕組みを住民とともに作り出してきた。

うん、今度、訪ねてみよう。

「隠す」ことのできる差別は、「暴かれる」ことによるショックが大きいんだなあ。ということがわかった。


女性であることを「暴かれる」ことはないし、わたしの前で女性差別的な発言をする人は皆無だ。上野千鶴子さんではないが、「60年も生きてくれば、自分の身の回り、心地よい環境を作り出すほどの知恵と力はついてくる」ものだ。

誇ることのできるアイデンティティ。

にもかかわらず、そのアイデンティティによる差別が存在する。

「なぜだ?!」と叫ぶ。

なぜ、「暴かれる」のだ?

すべての人は「どこか」の「だれか」なのに。特定の「どこ」の「だれ」は「暴かれる」のだ。

ふしぎだ、というのは、ここにかかるのだ。

「暴く」心理は、わたしたちの中にある。

努力なしで満たされる優越願望。
多数派であることを「うんうん、うんうん」と共有できる安心感。
そして、つまらない覗き見主義。

北芝の例は、「あなたがどう生きるか」だよ、と問題提起してくれている。

逆に言ってしまえば、「地域」差別だからこその、差別解消の道があるのだなあと、地域興しの中では必ずしも解消されない女性差別との違いを思ってしまった。

■田原総一郎さんらによる「にくのひと」についてのトーク。世代交代について考えさせられる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11836847
by eric-blog | 2016-07-01 14:27 | □週5プロジェクト16
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