日本とドイツの気候エネルギー政策転換
渡邉理絵、有信堂、2015
2469冊目
http://www.amazon.co.jp/日本とドイツの気候エネルギー政策転換-パラダイム転換のメカニズム-渡邉-理絵/dp/4842055715
7千円もする本である。
その著者による講演会を聞いた。
理念の構造をPeffley and Hurwitz(1985)に習って「深層理念」と「政策理念」「表層部分」の三層でとらえ、その深層部分がどのように経年変化するかをインタビュー調査によってみたもの。
著者自身の研究の特徴を「25年という長期間」「日独の比較」「結果としてのパラダイム転換の有無」の検討の三つとしている。
結論としては、気候保全重視グループも、経済保全重視グループも、その立場と政策確信理念は一致しており、また、政策確信理念は変化しない。
ただ、ドイツではヨーロッパ連合における政治的影響力への配慮が政策転換を促していたのかもしれない。
また、日本の被調査者は、「気候変動についての知見」から、気候変動がおこる蓋然性について「わからない」と答えた人が多かったのが印象的。自分の価値観に合わないことは情報として入らないという「フィルター効果が働いたのかどうか、今後の課題。
理念の核心部分は「既存の制度、過程、規則、そして政治・経済・宗教・教育システムによって補強される」
支配連合メンバーは基本的に保守的で現状を維持したい。
にもかかわらず、彼らの政策確信理念の規範的部分に関わる制度の需要が高まるのは、実はその制度が規範的部分に定食しないように運用されているからなのか?
気候変動に対する対策として、日本の経済保全グループは「自主努力」をあげていることが多く、規制を嫌う傾向があるように思った。著者は、講演においては、「ドイツで自主的取り組みが低いのは、すでにその段階ではないという認識」と説明していた。
彼らが退職したのちどうなるかというのは知りたいなあ。中高年女性の生き甲斐が「社会化」「精神化」「純化」するという研究があったけれど、男性はどうなのだろうか?
「わからない」と答えつつ、知識はもっており、導入されている規制に対しては、それを技術対策としては受け入れて実行しているわけだから、「endorsement」することをいやがっているように思う。「専門家じゃないから言えない」と言いつつ、自分の判断は言わないという。
ESDの視点から言えば、だからこそ、価値観の教育が必要なのだなあということ。しかし、もしも、支配連合の人々の価値観が、その既得権の側という立場によって獲得されるものだとすれば、その価値観があるから支配連合の側で勝ち残れたのかどうかも含めて、立場によって強化されいるとするならば、変革の可能性は低いなあ。
佐々木中さんの本と前後して紹介したのは、「神の罰」あるいは「恩寵」と思えた事態が急転直下、既存の価値観の枠組みに投げ返されてしまうメカニズムが、「事件」や「事故」のような価値観の転換をせまる外部要因としてあったとしても、大衆という、支配連合の側ではない人々が、「ふるさと」として現状を構成しているものを希求し、そこに自らを投げ入れてしまうメカニズムが「チリの地震」に見られたような気がしたからだが。
つまり、外部要因でアクターたちが「変わらなければ」と思ったとしても、引き戻されてしまう要因も、またたくさんあるということだ。
環境と自己の再帰的再強化システム。
わたしたちは変われるのだろうか?
なんて課題を、1755年のリスボン地震の後の西洋知識人も突きつけられたと考えていたわけだが。