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Dou selected lectures 2009-2014

Dou selected lectures 2009-2014
佐々木中、河出文庫、2015
2470冊目

『切りとれ、あの祈る手を』他、何冊か、佐々木さんの本を読んでいる。匂いとして『働かずにたらふく食べたい』の著者と同じものを感じた。不思議だ。

自分を中心とした思索をかいま見るせいだろうか。

当代一の哲学者だという。

洋の東西、地球のいま昔の空間軸、時間軸をとてもひろくとって、いまを定位してくれる。そのあざやかさ。思考するってこういうことだよね。と。

死についての議論は苦手なので、紹介することすらできない。あまり、生きていることに疑問を持ったことがないので。
でも、「砕かれた場に、ひとつの場処を」はすごい。

こんな風に「場所」ではなく、「場所」と書くような人であり、わけのわらかない語彙がふと出てくるというところに、哲学者であるだけでなく、作者と紹介されている片鱗が。

とまれ、この2011年4月15日になされた講演で、著者は、3.11についてコメントを求められるのだが、なぜコメントしないのかということについての語りから入っている。

まずは、コメントを求めること、発言を「強要する」権力作用と感じると。ロラン・バルトはファシズムをそう定義している。
ジル・ドゥルーズは、「沈黙の気泡」を整えることの大切さを。124

その上で、著者は、とらにドゥルーズの次のことばを紹介する。
「強制収容所と歴史の犠牲者を利用して」「食い物にしている」哲学者非難。

語ることで「利用する」ことになる。

では、どのように語ることができるのか。その例を著者はジョナサン・トーゴヴニクという写真家のルワンダ虐殺事件を扱った写真集を取り上げている。127

利用していないと著者が思うのは、「理解」することも「代弁」することもできないときに、「いかに誠実に絶句するか」「その絶句をどのように人々に伝えるか」
実践として基金を設けて働いている写真家。

ここまでしてようやく「なんとか免れている」

われわれは当事者ではない。

どのように語れるのか? 専門家でもないわたしたちが?

と、著者は、ちょっと調べればわかることを、時空を駆使して、語るのです。

実際に、あの程度の地震は、千年に一度どころか10年に一度ぐらい日本でも起きていること。世界で見れば被害の程度は数十万人の死者であったりすること。

原発事故も頻発していること。

従って、「the only one」という感覚と「one of them」という感覚。「かけがえのない一」であるとともに「多くの中の一にすぎない」ということ。142

東北の直接的被災者の方々の体験をthe only oneとして取り扱いつつ、しかし、どこかで自らの苦しみはone of themであると突き放す。
自己憐憫に浸ったり、躁状態と鬱状態をくり返して右往左往することは何の役にも立たない。143

と、ここまでが前置き。なが! 作家や哲学者は饒舌だねぇ。

啓蒙の光が核の光を創りだしてしまった。

1755年、リスボン大地震は、啓蒙思想家たちによる神学批判をまきおこした。諸聖人の日という祝日に起こった厄災。

そして、著者が紹介するのはハインリッヒ・V・クライストの『チリの地震』。もうこれは、今日、借りに行く!

かくして地震とはグルントの動揺、根拠の動揺。
法や秩序が崩壊し、同一性が崩壊し、無根拠で惨たらしく残虐で、非道特で、救いがなく、モラルがなく、無限に突き放す剥き出しの現実。163

坂口安吾。「ふるさと」

ふるさとはゆりかごではあるけれど、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。(「文学のふるさと」)

学問は限度の発見だ。私はそのために戦う。

この最後の引用も、坂口安吾なのかなあ?

息もつかせぬ講演、であるな。

そして、なんとその次に収録されている講演会は4月28日、素人の乱12号店で行われた地下大学での「屈辱ではなく恥辱を 革命と民主制について」。

いやあ、もう今日はここまでにしておく。

表題の漢字、どう転んでも転換できない。全の真ん中一本がない字なんだけどね。
by eric-blog | 2016-03-29 13:01 | ■週5プロジェクト15
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