イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン、平凡社、2006
2457冊目
映画『サウルの息子』が評判だ。当事者体験ができるカメラワークは、サウルに焦点が当てられているが、背景は狭く、焦点もあたらず、はっきりしない。
サウルはアウシュヴィッツ収容所で、ユダヤ人捕虜のガス殺と焼却・廃棄を命じられていたゾンダーコマンド。ドイツ語で「特別部隊」。彼らは数ヶ月、殺戮・焼却・廃棄の特別任務につかされた後、殺される。
すべてはホロコーストを、殺されるユダヤ人の目からも、そして社会からも隠すためだ。
その厳しい監視の目を盗んで外に出されたのが、この本がとりあげる写真や手記である。
本書は2001年にパリで開催された『収容所の記憶』という写真展から始まる。
その展覧会におさめられた四枚の写真は1944年8月に隠し撮りされたものだった。
原題の解題が訳者あとがきにあるが、Malgré toutは「にもかかわらず」という意味ではあるが、toutは英語でall。ナチスの全体主義を含意していると。
すべてに対抗して、イメージをもぎとること。
存在を消すだけでなく、発信をも消すことで、まったくなかったことにされていく。
記憶をつなぐために、写真はとられ、持ち出され、そして終戦後まで隠された。
すべてに抗してイメージを保持する。
そして、わたしたちは「すべてに抗して想像する」必要がある。
知ること、知らしめることは、人間であり続けるための一つのやり方だ。60
すべてに抗してイメージを残したそのやり方、そのこだわりのすさまじさが、訴求力につながっている。
さて、『サウルの息子』を見るべきかみざるべきか?