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生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後-

生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後-
小熊英二、岩波新書、2015
2452冊目

マイナンバーという国の制度を、企業や行政などの末端組織が、なんのトレーニングも資格もなく行うということについて、大きな疑問を感じている。

とても重要な個人情報が「世帯」単位で送付され、これから離婚や再婚、虐待やDVがあるかもしれない関係性の中で、共有される。心底、こわいと思う。

企業や行政などにしてもそうだ。「取り扱い規定」を決めるのもそれぞれの組織にまかされ、誰がその責任者になるのかも、その規定による。「提出に協力が得られない場合」は、その担当者や組織が「説得」し「協力を求める」ことが求められている。

なんで、こんな国家の出先機関のような仕事を無償で引き受けさせられているのだろうか?

そんな疑問を思った時、消費税も同じようなものだと思い当たった。末端が預かって、国に納める。そうか、すでに国家の出先機関にされていたのだと。

それがこの本を読んで、戦時体制が影響していることを知った。

1940年に導入されたナチス・ドイツにならった源泉徴収というやり方だ。これは戦費調達のためだったという。47

「国家そのものが破綻するような大きな時代の変化に、対応できる人間はごく少ない。たいていの人は、それまでの人生の延長でものを考えてしまう」53

謙二(小熊英二の父)は言う。謙二の父親は、北海道でそれなりの財産を築いて故郷の新潟にもどっていたが、戦中から戦後の急速なインフレで雲散霧消してしまう。

1944年に19才で徴兵された謙二は、本籍が新潟県のままだったので、新潟出身者で構成された師団に配属される。当時、東京で早稲田実業を卒業し、富士通信機に就職しており、同級生等は国内に配属。戦後もすぐにもとの生活にもどっている。それに対し、新潟部隊は満州に送られる。たいした装備もない軍隊に配属され、「捕虜になるために」徴兵されたようなものだという。

四年間の抑留生活を生き延びることができたのは、下痢のために取り残され、原隊をはずれ、そのようなはみだし兵ばかりがあつまった収容所だったからだと、謙二は考えている。シベリア抑留では、軍隊の規律が保持され、初年兵はこきつかわれ、死んだものが多いのだという。

人間万事塞翁が馬、であるが、下痢のため、体力がなく、労働不適格であった。

戦後も、中小零細企業に就職するが、結核になり、30歳をすぎるまで療養生活が続く。

そして、退職後に、シベリア抑留の時にいっしょであった朝鮮系中国人の補償要求運動に協力することになる。日本の「国籍差別」はむごいね。

この本の優れた点は、あとがきに著者も言うように、謙二さんの記憶力と客観的な観察力、そしてその時代背景を社会科学的に補完しながら書きすすめられたものだからだ。単なる戦記ものではない読み物になっている。

『在日一世の記憶』などの聞き取りプロジェクトを手がけていたことも幸いしたという。『残留日本兵の真実』をまとめた林英一氏との共同プロジェクトであったことも、聞き取りの厚みにつながっているのだろう。

わたしの父と同い年。父は戦後、親戚の援助を得て進学、30歳で公立高校の教職についている。民間企業の栄枯盛衰に翻弄された謙二さんの方が、社会学的にも興味深いように思った。
by eric-blog | 2016-02-28 20:12 | ■週5プロジェクト15
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