わたし”前例”をつくります 気管切開をした声楽家の挑戦
青野浩美、クリエイツかもがわ、2012
2387冊目
原因不明の呼吸停止、意識不明などの症状によって、車いす生活を余儀なくされた著者が、声楽家としてのキャリアをあきらめず、スピーチカニューレによって発声を取り戻す。
医師の無理解、無配慮には、これまで化学物質過敏症の方からも重々聞かされて来た。一人ひとりの患者には、一人ひとりの望む「QOL、生きるということの質」への希求があるのだけれど、医師はそのことには無関心。治せる病気かどうかだけ。
そして、化学物質過敏症もそうであるが、病名はあり、症状もあるのだけれど、根治の治療法がなく、対症療法しかない場合は、さらに、医師の関心は薄くなる。うーーん、伴走者が必要だなと感じる。成人後見人ではないけれど。
青野さんの場合は、その後マネージャーも引き受けてくれることになった人が、医師に対する代弁者となってくれる。
青野サンの場合は、「声」が出せないために筆談になってしまうからという明確な理由があったからサポート役が生まれた。だが、患者というのは基本的に体力がない。気力も奪われがち。医師や回りのサポート役の人々との折衝に、体力・気力を費やしているのではないかとすら思う。
がんばれ、さまざまな難病患者の方々よ。自分自身のQOLへの希求は自分にしかわからない!
うん、そう考えると「声楽」というやりたいことが明確な青野さんの場合は、病気で失われたものと、実現したいことの関係がストレートでわかりやすいとも言えるよね。
病気で奪われたものは何かと実現したいものの関係は、そんなに簡単なことじゃない。
https://www.youtube.com/watch?v=w_bLM2_b9nM