武道は教育でありうるか
松原隆一郎、イースト新書、2013
2386冊目
2013年と言えば、女子チームで監督のパワハラ問題に対する訴えがあった年。
http://matome.naver.jp/odai/2135947088732090801
その柔道界が直面している危機とは「競技」が牽引する武道の世界共通の課題なのだというのが、この著者の考える。
体罰について、著者は「短期的には指導の効果をあげる」即効性があることを認めつつ、それは「身体を用いて考えさせる」という教育的価値を否定するものだと言います。117
武道は「身体を用いて考える」文化。しかし、価値観が多様化したとき、身体による思索を伝えるには言葉も併用する必要がある。118
「己を完成し、世に補益する」
嘉納の教え。
暗黙知を形式知に変換する四つのプロセス。
1. 体験しながらも技術を模倣し修得する
2. 言葉にならぬイメージを、「コンセプト」と呼ばれる言語表現にまとめる
3. 組織の理念に合致しているか田舎を検討する
4. 内面化。体験を蓄積し、後続する人に伝える
身体の使い方について伝統的な所作を学び、自然への理解を深め、競技を通じて他人を知り、みずからを律する。そのように身体を使いながら自分や他人、社会を知る文化伝統が武道。013
競技で成績をあげたにすぎない人が権力を握り、批判に言葉で答えないような武道流派は、社会から見放される。014
教育現場で実施される場合に、不可欠な視点。「安全性」について、著者はフランスを例に出しています。フランスでは死亡事故がほとんど起こっていないからです。
・子どもに対する柔道のレッスンは、細部までプログラム化されている。
・指導者の資格が国家試験。安全性についての理解。
・安全性の規準は弱者のために設けられるべきもの。競技力の強化とは無縁。
・弱者や高齢者も含めてすべての愛好家が柔道に親しみ、教育的価値を享受すること
・有料であること。「お客様」に怪我させられない。
被害者の会が設立され、彼らの指摘によって指導方法や安全への配慮が行われるようでは、だめなまのだと、厳しく指摘しています。
嘉納治五郎の柔道論の要点を次の四つとして紹介しています。
第一 身体を用いる知的な営みであること
第二 自分だけの利益ではなく他人をも向上させる、社会の発展をうながす人材育成をめざす
第三 競技にしばられて武術・護身術として使えないものであってはならない
第四 一部の強健な人だけがなしうるものではなく、弱者も親しめる一般性をもつ。
知性、社会性、武術性、一般性 102
そのことによって教育たりうるのだと。