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「みんなの学校」が教えてくれたこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日

「みんなの学校」が教えてくれたこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日
木村泰子、小学館、2015
2361冊目

映画を観たとき、よくわからんと思った。学びのシーンが登場しなかったからだ。職員が子どもに関わるところ、校長が「やり直し」に向き合うところ、子どもが子どもと関わるところは描かれていたが、実際の学習はどうなっているのか、よくわからなかった。

この本を読んで、著者が教育実習で41年前に出会った「ハラメソッド」が背景にあったことがわかった。何も教えない指導教官に不安を募らせていた著者に向かって、その学校の校長が言った。「あなたはいちばん幸運な教育実習生だよ」と。

彼は授業の神様だと。

その後、中学校で受験したにもかかわらず、小学校での勤務が始まり、それしか知らないので「ハラメソッド」で授業をしていたら、回りから浮いてしまい、問題教員のレッテル。しかし、担任した子どもたちは、持ちあがりがないと知ると泣いた。

そして、その後、評価が高まって行く。

なぜ、「ハラメソッド」が標準にならなかったんだろう? 結果的に「神様」とまで思われるのに?

その神様が、こっそりと筆者が毎日提出していた実習ノートに書き残していた言葉。

「流れる水の如く、流されるのはいとも容易く、逆らうこと困難を極める。」122


ここにも「学びのバリア」があるように思う。

今回、人権研修で「みんなの頭で考えた」学びのバリア。実は、学校の変化のバリアにもなっているのではないだろうか?

◎無関心の悪循環
◎社会的慣習・学びのスタイルについての思い込み
◎心のバリア・防衛心理
◎心の省エネ
◎からだの慣れ・生活習慣
◎自尊心
◎学び方を学んでいない
◎自信のなさ、セルフエスティームの低さ
◎自己決定への不安
◎差別する側、権力の側への馴化、同化による自己防衛
◎未知に対する恐怖心、変化への恐れ
◎学習性無力感

このリストの中で、学校に、デフォルトであるバリアもあると思う。それが初年度に著者がぶつかったものなのではないだろうか。「学びってこんなもんだ」とか、「学級ってこうだ」という思い込み。そして、変化への恐れ、だ。

時には学級を解体して、体育館で学年単位で学んだり、時には校長も授業をしたり。

「みんなの学校」のルールは一つ。「自分がやられていやなことはやらない。言わない」だけ。

特別支援学級も解体しているので、多様な子どもがいる。大空小学校では、子どもたちは「集中する」ことも学んでいる。授業中に座っていられない子ども、奇声を発する子どもに惑わされない。そこに大人がいて対応しているなら、安心して任せる。自分たちは学びに集中する。

しかし、回りに大人がいない時は、対応する。大人の助けを求める、こともわきまえている。それぐらいのことは、子どもたちはわかるのだ。

そして、全校道徳。六年生がリーダーになって、グループで討議する。お題を出すのは「提案チーム」だ。教員もどんなお題が出されるか、知らない。子どもグループは縦割り。大人は別グループ。答えをいいたがって「うざい」から、別にさせられてしまった。

六年生は全員がリーダーをする。リーダーになる。グループがうまく行かない場合は、グループ替えをする。六年生は、どんな子も見事にリーダーになる。

例えば、「小さな勇気」について。

命令しない。「整列するっていうのは、縦と横が揃っていることなんだよ」

月曜日の朝会、校長先生の講話をしていた時代もあった。緊張して、何か言わなければと準備して・・・・

ところが、「暑い! 校長先生、おしまい!」と服を脱いで投げ出した子どもがいた。152

それから校長先生の話はなしに。

それだって、「なし」になんかできないでしょ? フツーの学校や校長には?自分の権威を認められていないみたいで。

つまんないね。誰のための学校?

そう、みんなの学校は「子どものため」が愛言葉。毎日毎日が工夫。
by eric-blog | 2015-09-29 09:09 | ■週5プロジェクト15
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