Turkish Awakening Behind the Scenes of Modern Turkey
Alv Scott, FABER&FABER, 2014
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目覚めるトルコ
イギリス育ちのトルコ人の母を持つ1985年生まれの女性が、2011年から二年半をトルコで過ごして、現在はジャーナリストとしても活躍している中でまとめたもの。
2013年のゲジ公園での抗議行動が、トルコの変化を表しているという。
これまでのトルコを形作って来たのは、アタチュルクである。1922年のオスマン帝国廃止から、初代大統領になり、トルコ語の文字もアルファベットに準じて整備した。世俗主義、民族主義、共和主義を柱に建国した。
アタチュルクに対する批判や冒涜は法律5816号で禁止されている。さらに、「トルコ」を批判するジャーナリストや学識者が拘束されているのは「Article 301」、トルコを批判することを禁じる法律によってである。
エルドアン大統領は、そのケマル主義、世俗主義に対して、イスラム主義的な方針を強く打ち出している。
その一つが禁酒である。テレビを見ていると「ボカシ」が入っていて、酒類、タバコ類などの映像にはボカシが入れられている。
アタチュルクはRakiという酒を好んで飲んでいたし、禁酒主義ではなかった。エルドアンの方針は、ともするとアタチュルク批判とも受け取られかねない。
女性がスカーフを被ることも禁止されていて、スカーフを着用した女性は公職に着くことができない。国会議員がスカーフの着用をしてよいかどうかが問題になったが、エルドアンはその緩和を求めている。
実際、カッパドキアにいるとスカーフを着用している女性の方が多い。最初の滞在時の体験だが、買ったばかりのスカーフを巻いていると、スカーフを被っていない女性たちのグループがこちらに向かって「アチ」「アチ」と叫ぶ。「開け」と言っているのだ。スカーフを巻くこと、外国人が巻くことに意味が付与されることを知った。
イスタンブールに来るととたんに一割以下の感じになる。
わたしは、あの熱い日差しの中で、スカーフはとても合理的だと思う。最初は着用の仕方を学びたいとすら思ったが、スカーフを巻くことそのものが「イスラム化」あるいはイスラム化=世俗主義の否定と受け取られてしまう。そのことがあるのでスカーフを巻くことはためらわれる。
同じ体験を著者も書いていて、ファッションでスカーフを巻いていると、スカーフを巻いた女性から「うなづき」のあいさつを送られる。それはあきらかに同じ派閥だねというサインであったと。
世俗主義を守ることができるか、それがいま大きな課題になっている。同時に、宗教の自由を保証することができるかという問題でもある。スカーフを被らないイスラム教徒の女性の存在もあるのが現実なのだから。
著者は、トルコを「若者」に例える。実際トルコは若い国なのだけれど。
可能性に満ちていて、挑戦的で、前向き。しかし、危ういところも多い。
ゲジ公園での抗議行動は、トルコのこれからを方向付けるものを示唆していると著者は考えている。
そして、それは決して単純なものではない。資本主義に牛耳られることへの反対、商業主義・開発主義一辺倒への批判。しかし、求めるものは進歩であり、変化であって、決して過去に戻ろうというメッセージではない。
どこへ行けばいいのか。
トルコの問いは、いま、世界が求めている問いなのだ。