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歴史認識とは何か? 日露戦争からアジア太平洋戦争まで

歴史認識とは何か? 日露戦争からアジア太平洋戦争まで
細谷雄一、新潮選書、2015
2357冊目

去年は、明治精神史をのみ一冊、もって来た。今回のトルコ滞在に持ってきたのは、この本と、木村幹さんの『日韓歴史認識問題』の二冊である。

1945年をあたかもなんらかの断層のように捉えて論じることは、歴史の連続性の認識を阻む。

世界のない日本史と、日本のない世界史という教科科目の構成がもたらす弊害。

そして、明治時代、国際社会の仲間入りをしようと必死だった頃の日本の国際感覚と、日露戦争以降の国際主義の欠如。

一人ひとりに多様である歴史認識を、国内、そして国際的に均質にしようとすることの無謀さと、村山談話という「一つの歴史認識」で日本を代表しようとしたことの意味。

歴史に対する「史料による客観性」主義の限界と、限界ゆえに、ポストコロリアニズムとフェミニズムによる、前者は植民地支配された側からの歴史の視点、後者は女性の視点からの歴史の視点というようにポリティカルに使われて行く歴史へという歴史の意味そのものの漂流。

これらの視点を欠いた現在の歴史認識を批判するとともに、太平洋戦争時の戦争へと突き進んでしまう陸軍、海軍、内閣の三すくみとリーダーシップの欠如。

そして、これらの歴史的事実そのものはかなり研究がすすんでいるのだという指摘。

しかし、いまの歴史についての議論が「ポリティカル」である以上、どれほど歴史学が研究を重ね、史実を積み上げていようとも、安心はできない。というのも、すでに教科書が「ポリティカル」に書かれているという問題については、残念ながら著者は踏み込んでいないからだ。

いくつか備忘録

1930年代のイギリス、フランスの軍縮が「力の空白」を生み出し、ドイツ、イタリア、日本などの台頭を許した。(これは木村の本か?)
宇垣軍縮を思い出す。中等学校に対して軍人が配置され、軍事教練につながったこと。

日本の中国に対する空爆が、世界の中での空爆の最初だったというのはどこかで読んだが、それが行われた時期が、ヨーロッパにとっては第一次世界大戦後の疲弊から平和への努力が続けられていた時だけに衝撃が大きかったということ。
日本は第一次世界大戦に対しては、ヨーロッパの痛みと決意を理解することなく、自らの天佑として機会主義的にふるまったこと。

そして、ヨーロッパの国際世論や経済制裁による紛争解決への努力が、平和を破壊する侵略的な行動に対して、無力であることを示すことになった。

ナショナリズムの台頭が、帝国主義を不可能なものにしつつあった時代の流れに対する無理解。そしてアジアの解放という詭弁と実質的植民地支配という二重外交。

震撼なからしむ書である。
by eric-blog | 2015-08-21 11:51 | ■週5プロジェクト15
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