江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか
武井弘一、NHK出版、2015
2335冊目
15ページの図序-2「明治初期までの耕地論席・人口の推移(推計)」から読めることがすべてである。
平安中期まで、1000万人以下であった人口が、江戸になって1000万人を越えた。600年という時間がかかっている。
それがなんということでしょう! 120年の間に、3000万人を越えるのだ!
江戸中期、1720年頃の数字。そして、そのレベルが明治初期まで続く。人口は3000万人のままだ。
もちろん、いまは1億を越えている。明治から昭和42年(1967年)にかけての100年でも三倍増を経験している。ま、同じようなことが起こったわけだ、江戸時代にも。実は、江戸時代は、「停滞」についてのお手本なのかもしれないね。
その間に水田面積も約3倍増している。戦国時代から、時代が安定し、上流から下流に向けて、水田開発がすすんだ。米が経済成長の鍵であったことは疑いない。
水田が拡大すると、必要になるのが「肥料」。人糞や牛馬肥、里山の草肥ではまかなえなくなる。干鰯などは買わなければならない金肥である。貨幣経済は、実は農村から始まったのだというのが、著者の慧眼である。そりゃあそうだなあ。人口比の9割が農民なんだからねえ。その圧力がなければ貨幣経済はすすまんわなあ。
水田は、稲以外の用途にも関わっていた。武士が猟場について、生き物たちも多様。
開発がすすむにつれ、洪水被害も大きくなる。野生生物による食害も広がる。
そんな苦悩の江戸時代後半の姿が、加賀藩に残されたさまざまな記録から浮き彫りになる。絵巻物って、情報の宝庫なんだねぇ。書き込まれたディーテールかあ。ひょっとしたら、いま、わたしたちが撮っている写真も、思わぬ歴史資料になるのかもね。