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環境世界と自己の系譜

環境世界と自己の系譜
大井玄、みすず書房、2009
2514冊目

環境は無数の潜在的情報源だ。生物は、そのなかの限られた情報のみを取り入れ、主観的現実を構成する。それが環境世界。「仮構する」世界。13

期待と認知 15

モノを探す時に、わたしたちがよく経験することだ。あるべき場所、あるべき形、あるべき質感などで、そこになければ、見えないという経験。しょっちゅうだよね。わたしたちは自分自身の「期待」を投影して、ものを見ている。

不安という情動

人間関係は、認知能力のおとろえた人にとくに大きなストレス源となる。18

危険や苦痛

などなど、医師である著者は、認知症の専門家である。認知症の世界から、自己認識とは何かにせまっているのがこの本。
日本の自己観と、それゆえの病理がある。

人類文化的には「個人志向」と「関係志向」がある。
前者を「アトム的自己」。自主的思考、判断、行為主体とする。
個人が主、社会が従。

相互独立的自己  independent self
相互協調的自己  interdependent self

後者を「つながりの自己」

「アトム的自己」というのはクリフォード・ギアツの定義がある。104

感情も、同様に、「自己中心」的感情と「他者中心」的感情がある。

怒りやいらだち、誇りは、自己の内的属性を規準として商事、その発現が阻害されたと意識する時観ずる。「不公平に扱われた」など「自己中心的感情」

同情、他者との一体感、恥などの感情は、他者をおもな規準として生ずるので「他者中心的感情」

自己観の差が感情の種類や程度も違える。(マーカスと北山、『自己と感情』)

アメリカ大陸というフロンティアは「アトム的自己」を育てやすい。
日本でも北海道など。

アトム的自己観にもとづく「人間観」に普遍性はない。126


日本人の多くは、「つながりの自己」的深層意識をもっている。認識、常道、倫理意識に現れている。

それはどのように形成されたのだろうか?

おおらかな多神教の世界
古代豪族の長が各農村共同体の統率者。154

天皇は権威であるが権力は持たない。

異民族に対する寛大さ。
万民が根本においては平等。(尾藤正英『江戸時代とは何か』)

聖徳太子の17条の憲法は、官僚が遵守すべき倫理的指針がしめされている。158

公地公民という平等思想は、私有地とそれを守る武力の前にくずれていく。160


誰でもいい、強いものにつくという村の生き方。(黒田基樹『百姓からみた戦国大名』)

中世社会には、親族関係、主従関係、同輩関係など多岐にわたる関係の網が張り巡らされていた。170

自立とつながりの双方向的な生存戦略。

日本という閉鎖系内での平和な生存のために、喧嘩両成敗による武力紛争抑制、裁判による救済の徹底。江戸時代に達成される。

身分制度的な社会であったも、共同体の各個人が人間として平等であり、それぞれの生まれ育ちに応じてあたら得れた役割をよく果たすことにより共同体の目的に奉仕する。175

国家をその共同体の先に位置づける。

そんな「つながりの自己」を深層に持つ日本人に対して、アトム的自己を求める倫理意識が戦後方向転換されたのではないかという。227

個性化教育という切り離し。
1.元来アトム的自己観をもち、他者は関係項として入っていない子
2.自力で競争に耐えうる潜在的能力をもつ子どもたち=頑張り屋
3.自立しない典型が「ひきこもり」。几帳面、正直、素直、神経質、内気。

高塚雄介『ひきこもる心理とじこもる理由』
http://ericweblog.exblog.jp/7802382/


「関係志向」から「関係否定」という倫理委式の転換は、自己否定、他者との対決をともなう可能性のある「関係性」への消極性にもつながりかねない。232

アトム的自己は、キリスト教文化のもと、近代主義的個人に『無理をして』脱皮してきた。」236 

人間特有の「私」のあり方とは、「他者との関係のなかでのみ定義されている点にある。」by正高

閉鎖系に生きる倫理意識を江戸時代日本に学ぼう! というのが結論。

それは争いを避け、他者としの関係性を強化する営みに居合を感じる他者志向、他者とつながる倫理意識である。268


「理性的で、尊厳性、自由、平等、幸せ追求の権利をもち、しかも自然を超えた人間像とは、共同幻想で強化された「仮構」であることが明白である。現在解明されつつあるのは、第一に、ヒト派自然を超えた実体的属性をそなえた存在ではなく、自然界に働く多分に道のダイナミズムに組み込まれた一生物種にすぎず、またその事実を受け入れざるをえないことだ。脳科学のここ20年の進歩は、人間の意識も意志も、脳に営まれる神経生理的過程の「生産物」であることを強く示唆する。理性的「自由意志」の存在は疑わしい。啓蒙思想とは世界が最終的に西洋的普遍文明に統合されるという信念だとすれば、その経済的表現である「グローバル化された自由市場」では、社会も環境も守ることはできないのである。」269
by eric-blog | 2015-05-28 10:13 | ■週5プロジェクト15
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