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わたしが外人だったころ

わたしが外人だったころ
鶴見俊輔、佐々木マキ絵、たくさんのふしぎ・福音館書店、2015 
2511冊目

鶴見さんの文章に、絵がつけられて、「たくさんのふしぎ」に収録されていたものが、再販されることになりました。

まだ絵本は手元に届いていないのだけれど、鶴見さんの文は、あちこちに収録されているものを読んだ。

日米が開戦した時、米国にいた鶴見さんは収容所に入れられた。負けるときに故国にいたいと言う思いで、帰国を希望。1500人収容されたスゥエーデンの船で、南アフリカで同数のアメリカ人と交換され、2ヶ月半の船旅で帰国。

1941年10月帰国、最後の徴兵検査に間に合うと、徴兵され南方へ。

日本にいても、どこか外人の中にいるような感覚が続いたという。

昨晩、アヤさんという文化人類学者の人を囲んで、彼女の研究テーマについてお話してもらった。

いまは沖縄のアメラジアンについて調査しているのだとか。

これまでの研究でわかったことは、「両親が離婚している場合、子どもは社会階層をあがりにくい」ということ。移民でも両親がそろっていれば、社会階層を上りやすいということ。

アメラジアンについて言えば、親に育てられている場合は少なく、祖父母や親戚に預けられていることが多い。

差別がなければ、アイデンティティはあまり問題にならないのではないかとも思うが。

ルーツを探して日本にやってくる日系アメリカ人も結構いるのだという。

居場所、いきがい、他者からの承認。この三つが幸せにつながるのだとは、夕飯にまねいてくれた民さんのご紹介。

わたしのトルコの孫娘にとって、ダブルであることが、メリットにつながるように思うのは、経済格差の問題だけかなあ。

彼女はどのように居場所を確立していくのだろうか。やりたいことを見つけることが、ポイントになってくるのは、そこから「承認」や「居場所」が生まれるから。かつての「風土」に生まれて、風土の中に役割と居場所を見いだしていった時代とは、居場所の意味も違うはず。

にもかかわらず、からだはふるさとに感応するのだと、民さんは「博多」に足を踏み入れたときのからだの開放感を言う。居場所は小川町にしっかりとあるのに。

からだ感覚はまた、ことばともつながっている。おなじ呼吸で話す人との共感。

重層性と多元性。人は森なのだ。
by eric-blog | 2015-05-25 11:03 | ■週5プロジェクト15
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