家族の勝手でしょ!写真274枚で見る食卓の喜劇
岩村暢子、新潮文庫、2012、単行本2010
2485冊目
1960年を境に断層が走っている日本の家族を描いた
『日本人には二種類いる 1960年の断層』
http://ericweblog.exblog.jp/18965906/
食卓にあふれる袋物、箱もの、冷凍物、総菜、コンビニに加えて、外食、ママ友ランチ、実家外食、親持ち外食。個食化など、食卓の風景が変わったことを実証した研究の成果の第1弾。
『変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識』2003
http://ericweblog.exblog.jp/6833445/
世代間の継承が崩れてきた現実を映し出した
『<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死』2005
http://ericweblog.exblog.jp/4249370/
『普通の家族がいちばん怖い 徹底調査! 破滅する日本の食卓』2007
http://ericweblog.exblog.jp/6821754/
単行本も文庫本もカラー写真を多用しているので、著者の言うところの現実が、リアルである。
緑が少ない。煮物がない。個別に盛りつけられていない。型がない。
イギリスで、あるご家庭を訪ねた時、「日本から来たのだから」とみそ汁を準備してくれた。彼ら自身も好きなのだと。みそ汁はスープ皿に盛られて供され、みそ汁を全部飲み終わるまで、がんとして次のメインディッシュは出されることはなかった。
こういうものが「型」である。
写真は、型のなさを語っている。それまでの型から戦後、都市化した世代の母親が破ってきたことは『<現代家族>の誕生』で指摘されている。彼らは自由を手にしたのだ。NHKの「きょうの料理」に支えられて。
自由であるということは責任が伴うということだ。
いま、母の家を訪ねても、義母の家をたずねても、戦後家族第1世代の彼らのキッチンの棚は食器で溢れている。和風、洋風、中華風まで。もともと和風は小物が多い。
わたしたちは何を選んできたのか。そして、何を選んで行くのか。我が身をふりかえること、忸怩。
単行本から文庫本の出版の間に、東日本大震災があった。破壊された食卓の風景はまだ帰ってきていないという。
特に、煮物は、鍋を選ぶ。母が煮物に使う鍋は決まっている。鍋で味が変わるのだ。いま、鳴りもの入で売られている「便利」な鍋は、いずれも菜っ葉の煮物には不向きなものばかりだ。肉じゃがぐらいになら、堪えられるかもしれないが。
鍋釜が失われて、それでも調理をしなければならないとき、台所に立つ時、喪失感に襲われるのであろうことは、痛いほど、身に刺さる。
食卓が変わり、そして、結果、市場も変わる。買うものしか売られないのだ。
そして、買えるものしか出さなくなる。あーーー、エンドウ豆ごはんが食べたい! なんで売ってないんだ?! 季節、すぎちゃったじゃん。まあ、玄米だから、あまり美味しくはできないけどね。玄米派で残念だなと思うのは、こんな時だな。さて、にぎらずを作って、出勤しますか。