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教師のための天皇制入門

教師のための天皇制入門
千田夏光、汐文社、1991
2383冊目

この本はなぜ書かれたのか?

「天皇はなぜえらい?」と聞かれた時に、どう答えるか。
「天皇とは公職なのか?」と考えた時、何を根拠に考えるか。

その答えが「「右へならえ」で誰かの語った文言や言葉を自分の考えたことのように口にするのもよろしくない。」
そして、語り聞かせるのに何かをおそれ右顧左眄(うこさべん)してもならない。162

教師よ、天皇制について「もごもご」することなく、語れるようにしなさいね、ということ。根拠は『日本国憲法』と『教育基本法』である。
(後者は変えられたし、前者も変えられそうだけど)

天皇・天皇制について支持派と無関心派が存在する。


昭和天皇(しょうわてんのう、1901年(明治34年)4月29日 - 1989年(昭和64年)1月7日)
(在位:1926年(大正15年)12月25日 - 1989年(昭和64年)1月7日)

明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )は、日本の第125代天皇(在位:1989年(昭和64年)1月7日 - )

明治22年に始まった「現人神天皇」と「天皇の統治する国家」護持の皇国史観教育の成果は、昭和期に入り、ようやく成果をあらわしはじめた。

軍人恩給における「俘虜」となった人に対する差別の存在。27

「国運振興の詔書」いわゆる人間宣言、昭和21年1月1日。

昭和天皇の死をうけ、文部省通知という形で「弔意を示す講話」を三学期の始業式でするように各学校長に伝えた。

「天皇陛下崩御に際しての弔意奉表について」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19890107001/t19890107001.html

この特殊言語を繰り出すところがまずもって大嫌いだ。これらの言語を使うことで「自分のインテリジェンス」を示すことができると考える人がいること、そして、これらの表現によって示される「階級」の存在、上下の感覚、力の格差の感覚によって、「下々化」される国民という構図が嫌いだ。

大嫌いだ。本当に、やめてほしい。平場の言語で対応できるようにして欲しい。
明治時代に「らしく」つくり出した神道儀式についても同様だ。


昭和天皇の戦争責任。それは明仁天皇にもつながっている。49

「ヒロヒトが戦後も天皇であり続けたことは、日本人の戦争への罪悪感を軽減させ、西独がいまも悩んでいるような過去へのこだわりから解放したことになった。・・・西欧の目には、これは集団的な責任隠しとも映る」英紙タイムズ論説、昭和天皇の大喪にさいして。(大喪ということばもいやだ。)

昭和20年4月1日、「連合軍に痛打をあびせてから」と決戦を命じた。

1月20日「本土決戦に関する作戦大綱」

「象徴による明確な棘についての謝罪がないかぎり、何かのさい同じ事態が起こりえる」59

◆おかしな皇位継承ルール
・天皇「家」という家の存在
・男子しかだめ
・生まれた家系でないとだめ
日本国憲法の精神と不整合関係にあるのが天皇。65

◆天皇の国事行為
「憲法を守る」
ことと矛盾するのが「即位の礼」と「大嘗祭」を行ったこと。
践祚の礼をすでに行ったのだから、重複している。しかも旧憲法下の「登極令」にのっとっている。
この「登極令」は旧憲法の下で天皇の絶対的権威と権力をうちたてるため明治時代になり急ごしらえされたもの。94

やれやれ。
型から入る日本の文化そのものが、天皇・天皇制を生きながらえさせるのではないだろうか。伊勢神宮のご飯のお供えを神饌と呼び、それをささげる儀式。形式を整えた「神への言葉」である祝詞。祝詞で言っていることは、「家内息災お願いします」というようなことなのに、形式が調っていないと神は聞いてくれない。極上の儀礼への陶酔すら感じられるのが神道なのだ。それは国家神道をもって頂点となる。なぜならば、その儀式によって支配することのできる数が圧倒的に多いからだ。

主権者は国民?
何度も言われなければ、忘れてしまいそうだ。
そして、そのことを、著者は何度もこの本の中で指摘する。憲法で、教育基本法で、国民主権がうたわれているのではないですか、と。それに照らして、子どもたちに語ればよいのですよ。と。

登極令、現憲法にのっとって廃止されたはずの儀式
そして、「大嘗祭」は宗教的な儀式でることを政府自身が認め、国費を出費している。政教分離の憲法違反。神と天皇が一体となる儀式。95

そういう儀式を主役の座で演じ続けた明仁天皇の憲法感覚、憲法への理解度に、問題を覚えた。95

「天皇における神との結びつき一体化、国民を見下ろす高い場所からの即位宣言は・・・・違和感」96

さて、日の丸、君が代と天皇制である。100頁から。

昭和30年11月15日、自由民主党結成。「自主憲法制定」を綱領にいれた。「天皇の元首制」「自衛隊の公認」「徴兵制の復活」を柱にしている。105

昭和33年「学習指導要領改定」によって日の丸君が代について「国旗掲揚、君が代斉唱をさせることが望ましい」とした。107
昭和52年「学習指導要領」「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」
1990年平成3年「学習指導要領」「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するものとする」

これを「なしくずし」と言わずに、何をなしくずす?

戦前の軍隊にもなかった国旗掲揚。壇上正面への掲揚。そうなんだあ。儀式化が好きな人がいるんだなあ。怖い、怖い。儀式が怖い。形式主義が怖い。

天皇歳費も膨大だ。象徴に使うべきお金はいくらなのか。

天皇・天皇制と校長。

管理職講習の内容、初任者研修の内容などに、国旗国歌の設問が盛り込まれていく。

一方で『奥丹後の日の丸』のように、学校儀式に日の丸君が代を持ち込まないとした校長集団。131

教育基本法の空洞化、天皇を中心とした国づくり、その国歌のシンボルとしての国旗・国歌がある。132

今日の「象徴天皇制」の成立過程を教えるとき、「絶対制」時代の天皇制のありようから教えねばならず、これを教えるには「絶対制天皇制」時代の昭和天皇のこと、つまり昭和天皇の戦争責任について言及しなければならない。138

そして、天皇と軍隊の関係。

昭和29年8月20日、北海道ニセコの記者会見で、創設5年の陸海自衛隊員が堵列し出迎えたことへの感想を求められた天皇は一言も語ることなく席を立った。156

昭和35年、防衛庁が文部省に「学校教育にもっと国防意識を盛り込んでほしい」との要望を出した。

昭和37年、羽田空港への国賓の出迎えに、天皇の前に自衛隊の儀仗隊が出て「捧げ銃」の軍隊式礼をした。
昭和41年、自衛隊関係者へその残忍中の功績による叙勲が開始された。
昭和42年には海上自衛隊2000人が天皇家の先祖とされる天照大神を祭る伊勢神宮へ隊伍を組んで公式参拝した。
昭和48年、増原防衛庁長官が天皇のことばをもらしたせいか、さけられる傾向に。
昭和63年ごろ、ふたたび、親和性が。
平成元年、昭和天皇の「大喪の礼」に、「弔砲」を陸上自衛隊が撃つ。50年ぶりの復活。北海道を訪れた新天皇を4000人の自衛隊委員が出迎えた。159
平成2年1990年、即位の礼、大嘗祭、「祝皇礼砲」が撃たれた。自衛隊あわせて1700人が参加。「捧げ銃」をするまでになった。

どこまで、親和していくのか。

あいまいな存在である天皇とあいまいな制度としての天皇制。にもかかわらず、形だけは、儀式だけは、言葉だけは積み上げられていく。

まずもって、天皇関連用語のすべてが、漢字変換で出てくることが脅威である。

終業式の「訓話」はどのように変化していくだろうか。
http://www.nagaoka-h.nein.ed.jp/contents/kotyokowa/h25_1gakki_syugyoshiki_kouwa.pdf
by eric-blog | 2014-12-17 11:05 | ■週5プロジェクト14
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