人気ブログランキング | 話題のタグを見る

生きることの意味 ある少年のおいたち

生きることの意味 ある少年のおいたち
高史明、ちくま文庫、1986、単行本1974
2354冊目

『ぼくは12歳』岡真史さんの詩集を編んだのはご両親である。高さんはお父さん。ちょうど、この本と、その後の青年期についての本を出した頃、息子真史さんは空へ飛んだ。「息子はこの本の一つふたつのエピソードを読んだだけ」だったと、あとがきに高さんは言う。伝えたかったことは明るさだったろうに。

文庫版の解説は鶴見俊輔さん。なんと9歳の息子さんからつよくすすめられて、この本を読んだのだという。そして、そこに描かれているのは高さんの子どもの頃でありながら、同時に戦時中日本に朝鮮半島からわたってきた一世であるお父さんの人生も描き出していると。決して「朝鮮人」であることを、同化政策の圧力の下でも、そして日本に暮らしていても、やめることのなかった父親。

長じるに従って、日本語と朝鮮語の齟齬から会話がなくなっていく高さんと父親。自分の中の無念さややりきれなさ、悔しさなどを語りたくても、言葉がない葛藤。

でありつつも、父親が示した生きる上での矜持は、確かに高さんのものとして、高さんを支えるものだったのだ。

学校にあがるまでの七輪町での生活は、貧しさの自覚も朝鮮人の自覚も生まない、明るい日々だ。

小学校に初めて行ったとき、級友の真新しい服とズック靴に「貧しさ」を自覚する。もう一人、下駄履きの子がいるが、その子も朝鮮人だ。ズック靴を盗もうとしたその子に殴り掛かる。

その後も、高さんは乱暴者であり続ける。学校という場の圧力に抗して。

五年生の時に、坂井石三先生と出会う。「きのした」という日本名ではなく「金天三」という実名で出席をとる先生との最初の出会い。4年生の時の担任の差別的な態度でいじけてしまっている少年は、「きっとこの先生も」「どうせこの先生」も、人をばかにし、差別する意地悪なやつなのだろうと、かたくなさをくずさない。

創氏改名がすすめられていた時代に、実名を使わせる、その気持ちはなんだったのだろうかと、思えるようになるのは大人になってからだ。

しかし、坂井先生はそれだけではなく、しかるだけではなく、そのしかった行動がどうすれば繰り返さないですむかを考えるように、根気よく指導したのだ。つめが汚いということは、どうすればいいかを考える。

先生の進学と死亡という事件で、たった一年で終わったこの時期、高さんの暴力はなくなり、級友とも笑いあえる時期を過ごすのだ。

高等小学校での学徒動員、そして終戦。昨日まで、人をなぐってばかりいたN先生の豹変。「国のために死ぬのだ」と思い決めていたこころが、行き場を失ってしまう。

「解放」に喜んだわけではないことが、いたいたしい。解放でもなかったのだ。
by eric-blog | 2014-11-09 09:06 | ■週5プロジェクト14
<< ESDファシリテーターズ・カレ... 原理主義から世界の動きが見える... >>