女性官僚の歴史 古代女官から現代キャリアまで
総合女性史学会、吉川弘文館、2013
2333冊目
『「育休世代」のジレンマ』を紹介したいのだが、その前に、この本である。
皇后傘寿祝の記事にも触発された。この本を紹介したいと。
古代、政治体制が調っていなかった時、中国から男性中心の律令制度からの影響を受けながら、発展した。
「日本の古代国家は、女性「排除」の官僚機構の理念を唐から継受しながらも、現実の運用では、権力システムのなかに女性を「包摂」せざるを得なかった。」26
氏女と采女、畿内豪族出身と地方の郡の大領・少領、郡司の出身の二つのルートが女官の出仕ルートがあった。15
中国の律令制度を踏襲する「排除」と天皇の意思を方として定立する過程に内侍司が関与し、男官を監理するしくみや日常的な男官との共労制が温存された。29
女性は、実力によって高位の女官に任じられることもあったが、真名(漢字)など書けないふりをする「女性の側の自己規制がすでに9世紀には始まっている」
54
「平仮名の出現は、女性たちの苦悩の始まりでもあったといえる」55
中世の裁判においても、漢字漢文至上主義が継承された。しかし、天皇の意志を平仮名(和文)で通達する女房奉書の存在があった。57
そして、明治維新における宮廷改革。
女官制は存続。
1884年の華族制度、85年の内閣制創出、89年の大日本帝国憲法の公布、皇室典範の制定、90年ね教育勅語に至る一連の政策の総体として天皇制国家が確立する。145
女性は「国家官吏」への登竜門の外に置かれた。146
戦後の改革の中での女性官僚の活躍は労働省婦人少年局。しかし、全体としては2.8%にしかすぎず、きわめて少ない。