日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか
長野晃子、草思社、2003
2219冊目
ルース・ベネディクトの『菊と刀』によって「恥の文化」と分析され、そうなのだと再帰的に受入れられてきた日本人の行動規範。しかし、と、著者は「恥」という外在的な視線ではなく、「自責の念」という内在的な、内省的な視線が、日本人の行動規範にあるのだという。
ま、どっちも一緒だろ、とおもうのだが、民話のスタイルや教えを東西比較することで、文化的に共有されていく倫理を描き出している。
まずは、ベネディクトの論を紹介している。16
・罪の文化より恥の大きさ。
・道徳の絶対的標準があるのが罪の文化。
・罪を犯した人間は、その罪を告白することで主にをおろすことができる。
・恥が強制力である場合は、告白しても気が楽にはならない。
・恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行う。
外面的強制力と内面的強制力。恥と罪。
とベネディクトは、罪の文化の方が、内面的な強制力を持つので、罪を犯した人は、外在的な要素なしで自責する。その文化の方が優れていると、論じたがっていたのだと。しかし、では、犯罪について見てみると、日本の方が圧倒的に少ない。罪の文化の方が優れているわけではないではないかと。18
いやいや、日本でも「だれも見ていなくても悪い事をしてはいけない」という意識はある。28
民話は「心の習慣」である。
それらの教えから著者は「日本の四戒」を提案し、それをモーセの十戒と比較している。46
日本の罪は「他者を害するもの」。それに対して「自分を害すること」が罪なのだとキリスト教の「自殺は極刑」を交えて、論じている。48
教え方にもあらわれる。「神の命令だから」に対して「人に迷惑をかけるから」51
外面的強制力を意識させる欧米のしつけ。それが容赦ない体罰。54-55
それに対して「内面的強制力」を植え付けるのが日本のしつけだという。57
その方法は「悪い事をしたら自分自身がいやな気分になる。」「親はその悪い気分がなるべく長引くように工夫する。」反省させる。自分で自分を罰するようにしむけているのだ。と。59
神に罰せられる文化では、強制力は外にある。61
そして、もっとも秀逸なのは、欧米人には「忠臣蔵」が理解できない、ということ。187—
そこに「英雄による竜退治」がない物語の何がおもしろいのか。
日本の猿神による退治は、コミュニティが幸せになって終わる。安定と秩序の維持が結末。
日本人のいちばん好きな言葉
「忍耐」「感謝」「誠実」「根性」「愛」「和」「思いやり」「友情」「信頼」(1979年のNHK調査より)
さらに、喧嘩両成敗も欧米人は理解できないのだと。228
日本の治安を守るものは何か。
それは一人ひとりの遵法精神。人を害さないことを規範とする人。