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下村博文の教育立国論

下村博文の教育立国論
下村博文、河出書房新社、2010
2173冊目

現文部科学大臣が、野党時代にまとめたもの。

9才の時に父親を自損交通事故で失くし、シングルマザー家庭で苦労して大学まで進学。塾経営などの経験を経て、東京都議会議員、そして国会議員へと。教育改革をライフワークとして取り組んできている。

自身も支援を受けた交通遺児育英資金(現在のあしなが育英会)の人々の声がちりばめられている。これらの声を見る限り、「それは教育改革ではなく、社会的セーフティネットの課題だろう!」と叫びだしたくなる。

これらの声を「特区」の設立に結びつけるということ、教育の多様性を求める声に結びつけること自体が、信じがたい。

『学校を変える! 「教育特区」 子供と日本の将来を担えるか』大村書店、2003
には、教育特区交渉の文科省とのやりとりが満載されている。

株式会社やNPO設立の学校が認められる教育特区を目指したはずだが。

現在、教育特区として認可されているものを見ると、申請主体名 (地方公共団体名)は地方公共団体となっている。第11回までで約200。
http://www.yomiuri.co.jp/nie/note/kyoikukaikaku/2.htm

さらに、「以下は旧構造改革特区研究開発学校として認定され、平成20年3月の制度改正により本制度に移行した学校を設置する自治体の一覧です。」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/jouhou/tokubetsu.htm
のように、当初から英語教育に力を入れてきた自治体からの申請が多い。

例えば、相模原市は「国際教育特区」の認定を受けているが、それはLCAという株式会社が特区計画を提案し、相模原市が文部科学省に申請し、認定を受け、LCAが学校設置を相模原市に申請し、「LCA国際小学校は、構造改革特別区域法により、学校教育法上の私立学校として位置付けられるため、入学、教育課程、授業内容、保護者対応等の学校運営の全てについて、通常の私立学校と同様、設置者(株式会社エル・シー・エー)の責任で行うこととなります。」となっている。
http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/seisaku/kouzo_kaikaku/010128.html

この手続きは、NPOでも同じことになるだろう。つまりは、学校法人設立よりも簡単に私立学校が設立できるということだ。これは一体、どういう改革なのだろうか?

著者が、この本で訴えていたように、「不登校の子供」や「学習困難児」のための学校の設立というのは限られている。たいていはLCAのように、英語教育に力を入れているところがほとんどだ。

さらには、学校における教育評価の「できる・できない」というものさしの問題や個別対応などについては、特区だけで、とうてい解決できるものではなかったようだ。

特区にからめて、文科省の側、地方自治体などの事務作業がどれほど膨大になったであろうかと、想像するだに、行政改革の難しさを思う。

著者の「教育委員会は廃止、学校が責任を持つ」というビジョンは、知事部局に教育委員会が統括されるようになって、どう実現されていくのだろうか。

「教育の多様性の会」は2002年に結成され、東京シューレ、東京シュタイナーシューレ、東京賢治の学校、フリースペースコスモ、21世紀教育研究所など団体・個人200名が参加しているという。

現在は「多様な教育を推進するネットワーク」として活動を継続している。
http://altjp.net/aboutus/article/25

ネットワークのホームページに「日本の多様な教育」が紹介されているが、「理念型」に含まれる教育哲学に従った実践例は少ない。「状況対応型」と分類される「学習困難児対応」「不登校」「貧困」などの実践がほとんどなのではないだろうか。Special Needs Educationである。

『PLT木と学ぼう』は、ERICが事務局を務める米国環境教育プログラムであり、米国では、年間2万人を超える現職教員および7000人ほどの教員養成段階にある学生に対してトレーニングを提供している。

そのカリキュラムの中には「特別なニーズの学習者への対応」Special Needsへの配慮という項目がしっかりと、すべてのアクティビティで、示されている。通常のカリキュラムにおいても、特別なニーズの学習者に対する配慮は、取り入れられるべきものなのである。

特別なニーズの学習者は、どこにでもいる。障害、学習困難、貧困、虐待。子どもの貧困率は15%、DVは既婚女性の1/3が経験している。通常学級においても、4-5人は、特別なニーズのある子どもたちが存在する。それを特区で対応しようとすることは、本末転倒以外の何者でもない。

現在、日本における教員新規採用は2-3万人程度であり、教員養成系学科の学生は5万人程度と見られる。もちろん、一般大学の教育課程で教員免許取得に対応できるので、教員採用試験の倍率は高い。

教員免許更新制もよいが、教員養成課程そのものを「近代教育が目指している方向性」に従って修整していく努力をこそ、続けるべきであろう。

あらためて、「グローバル化時代の国際教育」において確認された「近代教育」の方向性を確認する必要があるだろう。

この調査だけではない。
国立教育政策研究所のまた別の調査では、以下のように述べられている。

http://www.nier.go.jp/kaihatsu/pdf/Houkokusho-5.pdf
社会の変化に対応する資質や能力を育成する教育課程編成の基本原理 ...

「社会を生き抜く力の養成」が「自立」、「協働」、「創造」を軸とした生涯学習社会の基盤に位置づけられた。すなわち、単なる経済社会的な変化への受け身の対応ではなく、多様で「自立」した個人が「協働」することにより、新しい価値や社会の変化自体を「創造」することが期待されている。」

教育改革の課題は、特区で対応できるようなものではないのである。

小泉構造改革と軌を一にした教育改革の波を、この21世紀型能力育成の課題にどう結びつけていくか、それもまた課題だと言えるだろう。

10年を迎えた教育特区についての調査研究・評価の試みも知りたいところだ。

教育、人材育成が大事。それは、まったく同意である。しかし、その解決を政治的な打ち上げ花火のような対策に熱狂させられるのはごめん被りたい。『学習の本質』が言うように、よりよい質の教育とは、不断のPDCAの先にあるのだ。
by eric-blog | 2014-03-11 09:38 | ■週5プロジェクト13
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