白人特権: 見えない背負子の中身をぶちまける

白人特権: 見えない背負子の中身をぶちまける

White Privilege: Unpacking the Invisible Knapsack
Peggy McIntosh ペギー・マッキントッシュ
http://www.amptoons.com/blog/files/mcintosh.html
(ラフな意訳です。逐語訳ではありません。)

女性の不利を認めても、男性は自分たちの特権は認めたがらない。女性の地位向上のための努力はするが、自分たちの持っているものを減らすことはしない。これらはすでにタブーにすらなっており、男性の特権を認識し、削減し、終わらせることから守っている。

このことを考えている中で、わたしは白人特権というものの存在に気づいた。それは、努力もなしで勝ち取られた財産で、知らず知らずに恩恵を受けている。

特権を受けている男性は抑圧的に見えるが、それは無意識にそうなのだ。それは白人女性が黒人女性に対して抑圧的であるのと同じである。

特権リスト
http://ericweblog.exblog.jp/15398382/

わかりにくく、免れやすい  Elusive and fugitive

メリトクラシーの神話をあきらめなければならなかったために、このリストを常に意識し続けることは困難であった。この国は、自分の人生は自分が作る、誰に対しても扉が開かれている自由の国ではなく、たいした力もないくせに多くの機会が開かれている人々が存在する国なのだ。

この白人特権の見えない背負子の中身を知る為に、あって当たり前だという条件を特権のリストにあげながら、わたしは特権をもう少していねいに区分すべきだと思うようになった。一つの分類は、誰しもが持つべき正義にかなうものであるし、もう一つは、無知で、忘れやすく、傲慢で破壊的なものだ。

白人特権は、社会システムを自分のために活用できるということ。支配的な文化的パターンの外にあるものは、いとも簡単に無視、拒絶、見えないものとすることができる。また、メインストリームの文化にいることで、それを批判することも自由にできる。

人種グループそのものが自信を持ち、居心地よく、見えないだけに、その他のグループは、自信がなく、居心地が悪く、疎外されている。白人であることは、わたしを悪意、抑圧、暴力から守り、逆に有色人種の人々には訪れた。

このために「特権」という言葉は、間違いであると、わたしは考えるようになった。わたしたちは特権というものを、生まれかあるいは幸運によって与えられるか、あるいは獲得された何か有利な条件を付与されることだと思っているが、しかし、わたしがここで描写した条件のいくつかは、システムとして、特定のグループを過剰にエンパワーするものになっている。そのような特権は、人種あるいは性別のゆえだけに、保証されているのだ。

獲得された強さ、獲得されたのではない力 Earned strength, unearned power
ということは、わたしは獲得された強さと特権によって与えられた獲得されたのではない力を区別したいと思った。わたしのリストにあるすべての特権が破壊的であるわけではない。近隣の人々の好意や裁判で人種のゆえに攻撃されないというのは、正義である。権力のない人々を無視するというような特権は、その特権を有する人の人間性をいやしめるだけでなく、無視されたグループの人間性をもいやしめる。

ということで、わたしたちは積極的な有利さと、否定的な有利さを区別することから始めよう。人間であること、ある人間のサークルに所属する安心感は、否定されるべきではない。それは、獲得されたものではなく、与えられたものだ。残念ながら、現在の社会でそれを感じられるのが少数であるために、それが特権のように見えてしまう。それが、リストの中では、獲得されたのではない有利さや支配性になってしまっているものだ。

システムとして存在する男性としての有利さと与えられた支配的な力について、心底ストレスを感じている男性にあったことはほとんどない。ということで、わたしとわたしと同じような考えをもつ人々が問うべきことは、「わたしたちもそうだ」というである。あるいはわたしたちは獲得されたのではない人種特権について、心底怒り、ストレス、抑圧を感じるのか。であるとするならば、それを軽減するために、わたしたちは何をするのか。

いずれにせよ、特権が日常生活でどのような作用を及ぼしているかをもっと研究する必要がある。白人は、「白人であること」を自らのアイデンティティとしてすら、見ていないのだから。さらには、人種と性別だけが特権のシステムではない。年齢、民族、体格などの物理的なもの、国民、宗教、性的指向など。

パラレルを見つけようとする努力をとりまく困難と怒りは数多くある。人種差別主義、性差別主義、同性愛主義は同じではない。それらにまつわる有利さは、同じではない。社会階級、経済階級、人種、宗教、性、民族などが、他の要因にも増して、獲得されたのではな有利さにつながっているのかを見極めることは難しい。とはいえ、これらすべての抑圧はからまりあっており、それは「1977年黒人フェミニスト声明」が明らかにしている通りである。

すべてのからまりあった抑圧について、一つはっきりしていることがある。その抑圧は、わたしたちが見える、能動的な形と、支配的なグループに所属する人々が見えないように訓練されてきた組み込まれた形の両方があるということである。わたしの場合、わたしは決して人種差別主義者などではなかった。わたしあるいはわたしの知人が、人種を理由に人をいじめるというようなわかりやすいフォームの差別をしないという意味で。しかし、その他の生まれによる人種差別は、見ないように訓練されてきたのだ。

このシステムを認めないだけでは不十分である。わたしは、人種差別は、白人の個人が彼らの態度を変えれば、人種差別は終わると教えられてきた。しかし、「白」という肌色が、多くの扉をひらく鍵であることを、個人の行動は止められない。

社会システムをリデザインするためには、わたしたちは最初に、その隠された次元を知る必要がある。特権にまつわる沈黙と否定は、特権をとりまく政治である。この問題がタブーとされることで、特権を守ってきた。白人による機会の平等についての議論は、そのシステムが存在することを否定しつつ、そのシステムに入るようにするための努力について語っていたにすぎない。

白人特権の見えなさは、男性特権の見えなさと同様に米国では、不問にふされ、メリトクラシーの神話、民主主義的洗濯はすべての人々に開かれているという神話を維持するのに役立ってきた。自信をもった行動の自由は、ほんの一握りの人々にしかないということに気づかないようにすることは、権力がある人々を持ち上げ、その権力をすでに権力がある同じ集団の手の中にのみ維持しようとすることに有利に働く。

システムの改革には何十年もかかる。が、わたしにとっては、緊急の課題であり、わたしと同じ考えの人々にとってもそうだろうと思う。そのことがわかったいま、どうするのか。男性を観察することで、すでに理解しているように、わたしたちが獲得されたのではない有利さを利用しようとするかどうか、あるいはわたしたちが主張して得られた力を、パワーシステムをもっと幅広い基盤に対して再構築しようとする努力にふりむけるのかは、開かれた問いであるということである。
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by eric-blog | 2013-10-13 11:34 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)
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