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参議院選挙2013 Issues 『学習の本質』から教育の質について考える

OECD, CERI レポートから考える

世界は日本なしで動いている。

それがこの分厚い報告書を読んでの感想である。この本は「エビデンス・ベイスト」証拠に基づいて、より良い質の教育とは何かを、個人的あるいは組織的な教育主張の検討ではなく、検証し広げようとしているものである。

国立教育政策研究所の研究員らが翻訳に取り組んでいるのだが、彼らの論文は一本も、累々と積み上げられているエビデンスとなるものとして引用されていない。いや、彼らだけではなく、日本で活動している日本人研究者の誰もが、引用されていないのだ。

世界は日本なしで動いている。第二次世界大戦前の孤立主義を思わせる。

ドイツのチュービンゲン大学、ノルウェーの研究所、アルゼンチンのサービス・ラーニングの事例、果てはCERIでデータをまとめるのを手伝った韓国人インターンまで、引用された論文以外のメンションの数々まで、日本の名前は出てこないのだ。

たった一箇所、「日本」が出てくるのは、OECD加盟国のところだ。

これまでのOECDのレポートでは、グッドプラクティスの例として、日本の実践が紹介されていたことはあった。それらが突出した個人の力量でしかないことを思うと、紹介されていること自体に違和感があったものだ。

やっと、世界は教育研究に真面目に取り組む気になったようだ。教育とは多数の実践者によって、長期的に取り組まれているものだからだ。

エビデンス・ベイストへの動きには米国の動きやエビデンスを集めた研究実践などの背景もあるだろう。

よい質の教育というのは、エビデンスを集めてみると、ごく当たり前のものなのだということが良くわかる。

学んだことが学習者のこれまで学んできたことに対してどのように意味を持ち、構成されていくか。全体像を結ぶのか。
学びは学習者のものなのである。
感情や価値観を大事にし、協同学習を取り入れ、地域コミュニティの問題解決に取り組む学究的サービス・ラーニングを支援する。何より学びには時間がかかるのだ。
楽しいことにこしたことはない。学ぶことは本質的には楽しいことであろう。しかし、時間がかかるものであり、教育とは、その道のりの伴走なのだ。

訳者監修者である立田がいうように、教員の質をあげることに予算を使うより、目先の制度設計や機器の導入に教育改革の資源を振り分けてきた日本。

研究と実践との乖離。

教育実践現場にある重層的な教育観。

さてさて、この糸、どうほぐすのか?いや、別にいいか、ほぐさなくても。別に日本の教育実践現場困ってないし、研究者も安泰だし。

大学で対話型とか広がってる。
変化は見えていると、もう一人の監訳者である平沢氏はいうのだが。

教育政策の大元が揺らいでないか?そこに研究者はどう関わるのだろうか?
by eric-blog | 2013-07-07 08:00 | ●3.11地震・津波・原発
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