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吉田茂とサンフランシスコ講和

吉田茂とサンフランシスコ講和
三浦陽一、大月書店、1996
1981冊目

渡辺謙はかっこ良かったよねえ。ま、交渉はそんなに簡単じゃないということか。アメリカからの再軍備への圧力が高まる中での講和条約交渉の舞台裏。

↓この原典は押さえておきたいので、全文。

1947年9月19日、寺崎がシーボルトに面会して伝えた天皇のメッセージ
「天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球のほかの諸島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし日本を守ることにもなる。
天皇が思うに、そうした政策は日本国民がロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが『事件』を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちえることができるだろう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(および要請があり次第ほかの諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で長期-25年か50年ないしそれ以上-の貸与をするという擬制のうえになされるべきである。
天皇によれば、この占領方式はアメリカが琉球列島に恒久的意図をもたないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによってほかの諸国とくにソビエト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう・」
96

1950年参議院での吉田の答弁。169

「日本に対する世界の信頼をもって日本の盾にするという覚悟を決めて、世界を友達にする。防備のない国を侵すというごときは、これは世界の輿論が許さんと思います。
防備のないということは、その点から申すと強みであると考えられるのでありますから、私は軍備を放棄することに徹して、世界の輿論を背景として日本の将来は開拓していく、これが日本を守るもっともいい件名な政策と確信して疑わないのであります。」

1947年7月、北方四島から日本人全員退去。8500人あまり。104(NHK,1992放送)

ロシア、朝鮮半島、中国。
日本問題に名答は、ワシントンにとってなかった。

下巻
吉田の第一のつまずきは、世界の緊張のたかまりとともにアメリカにとっての<日本の値段>が高くなっていることを十分利用せず、ひたすら講和をあせり、自分の最大の持ち駒である基地権をはじめからアメリカに差し出してしまう発想で交渉にのぞんだことにあった。105

もちろん、後付けの議論ではあるけれどね。

ダレスの吉田に対する不満。など、交渉の臨場感がおもしろい。情報と人間関係と、何を獲得したいかのぶれなさだなあ。

上下巻合わせて600ページ超。ものすごい史資料である。
by eric-blog | 2013-05-24 08:06 | ■週5プロジェクト13
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