ERIC NEWS 333号 ともによりよい質の教育をめざして  2013年4月29日

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ERIC NEWS 333号 ともによりよい質の教育をめざして  2013年4月29日
市民性教育 
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(文責: かくた なおこ 角田尚子
http://ericweblog.exblog.jp/
twitter : kakuta09  FBも)

 以下の空白に、ERICニュースの2006年1月以来の発行部数をグラフにしたものを張ってあります。2008年1月に第一期ブームのピークを迎え、いままた上り調子になってきています。
 こういう動きを見ると、張り合いが出ますよね。ご覧になりたい方は、PDFでどうぞ。まぐまぐのニュース配信で画像をどう貼付ければいいのか、まだ知らないのです。

eric-net.org/news/ERICnews130428.pdf


 昨年の秋から取り組んで参りました『平和教育: 平和の文化への道』もようやく翻訳のほとんどが完成し、今後、PDFで参照できるようにしていきたいと思っています。

 下訳の段階のものはブログ「平和の文化への道をひらく平和教育」に紹介しています。特に、「第16章学校をあげてのアプローチ」はフィリピン、ミリアム大学の取り組みの全体を見ることができる、感動的な章です。先行して、そこだけPDFにしましたので、ぜひ、ご覧ください。以下でダウンロード可能です。
eric-net.org/news/PE16layout.pdf

<<>>>>ニュース項目<<<<<>>

1.市民性教育 第三回
2.桐恋プロジェクト
3.ERIC2013年度主催研修
4.ERIC25周年! 

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1. 市民性教育シリーズ 第3回 市民としての行動力を育てる-政治的リテラシー、アドボカシーへ 

さて、今回は市民性教育シリーズ第三回です。

1気づきから行動へ-市民性教育とワールとスタディーズの本質 130217
2価値観とビジョン-わたしたちはどこへ行くのか?         130324
3市民としての行動力を育てる-政治的リテラシー、アドボカシーへ 130428   
44つの教育は一つ-共通する課題
5社会科教育は、市民性教育か?
6倫理、道徳は、市民性教育か? 
7市民性教育と消費者教育や反貧困教育、労働者としての権利の教育-セーフティネットとしての教育
8市民性教育とESD-未来のための教育へ

>>>市民性教育の三本の柱

市民性教育の教育内容を構造化するための視点として
1. コミュニティ意識
2. 社会的共通の課題の認識
3. Political Literacy 政治的読解能力
の三本を上げています。(Education for Citizenship, Holden and Clough, 2002)
Think Globally, Act Locallyなどの国際理解教育の主張や、地球市民教育などの主張を概観してみても、「社会的な課題への関心」と「行動力」という点では、共通しています。ただ、Holdenらが明確に指摘しているのが、「コミュニティ意識」です。

>>>>市民性とコミュニティ意識
 1974年、ユネスコ勧告が{国際理解、国際協力、国際平和のために、教育ならびに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告}*(国際教育のためのユネスコ勧告と略称)が出された時、「のための」という目的意識は鮮明で、そのためにそれぞれの文化の尊重や個人の参加は謳われていても、「コミュニティ意識」そのものを国際教育の柱とすることはありませんでした。いまから考えれば、1970年代は、地域や国家主義、既存の規範からの解放のみが課題であり、人が生まれでたコミュニティや家族そのものは強固に存在していたのでしょう。
 それが2002年の市民性教育についての論考では、「コミュニティ意識」が第一の柱として出されてきている。時代の流れを思わざるを得ません。「コミュニティ意識」とは、放っておいては身につけられるものではなく、教育において育む必要のあるものだ、あるいはそれを前提として市民性が成り立つのだという確認に至ったということです。

*http://www.mext.go.jp/unesco/009/004.htm

>>>>>コミュニティ意識=地球市民という単純図式ではなく・・・
 もちろん、その背景に心理学の知見を援用してくることは重要です。教育学ではよく引用される「マズローの自己実現の5段階説」は、人間の生の目標は自己実現にあるのだが、それを実現するためには承認の欲求や所属の欲求が満たされている必要があるという考え方です。しかし、人間がその段階を踏まなければ、自己実現に至れないというのは、有名なところでは例えば『夜と霧』のフランクルが見た強制収容所での現実、自分が生きるという食欲、生存の欲求にすら打ち勝って、道徳的な選択を優先すること、そしてその理念のためには死すら受け入れる姿によって反論されています。

 最近では、こんな例があげられるのではないでしょうか。

 いま、新大久保や鶴橋で排外的なデモを繰り広げている在特会のリーダーである桜井誠さんは、本名は高田誠と言い、福岡出身です。しかし、彼は、安田浩一*さんの実家や高田誠時代の知人友人に対する取材を極端に嫌い、安田さんを在特会に対する取材禁止にしてしまいます。

桜井誠として「在特会」という自己実現の道とリーダーとしての承認欲求を満たしつつ、彼は、自分の出自とは決別しているのです。まるで、21世紀のジャン・バルジャンですね。ジャン・バルジャンは、市長としての承認と名声の中に、過去の自分から逃げ切れないものを突きつけるジャベール警部によって、次なる選択に向かうのですが。桜井さんは「在特会」に祀り上げられて、次はどこに向かうのでしょうか? 

*ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて、安田浩一、講談社、2012

 現代において、生存(生理、安全)、所属、承認、自己実現というのは、同じ所属集団によって満たされるとは限らないということです。

 もう一点、『ネットと愛国』の取材から読み取れることは、在特会のメンバーが見た在日の姿です。

 「「在日が、なんとなく、羨ましかった」という元在特会のメンバー。必死になって学校を守ろうとしている朝鮮学校OB。仲間や親たちとスクラムを組む姿。つまり、在日社会が持っている濃密な人間関係や強烈な地域意識。」ネット右翼の持たないものがそこにあったということなのです。(p.222)

 出自のスティグマ、烙印を負うものと負わないもの。所属から逃れられないものと逃れられるもの。このネット右翼の出現によって、自己実現の二つの有り様が対比されたとも考察することが可能でしょう。

 わたし自身は「女性」というマイノリティとして生きていて、それは男性優位文化の男性中心社会において、さまざまな選択に結びついているのですが、逆に、「危うさ」から逃れている部分はあると感じています。いまを生きるということは、1人ひとりにとって、「コミュニティ意識」の獲得という課題抜きでは、語れないことなのでしょう。

 市民性教育が、自己実現を視座に入れたものとして、単に「のための」教育を超えようとしていることは、重要なことだと、改めて思います。

>>政治的リテラシー、アドボカシーへ
 自己実現への道では避けて通れない「自己主張」。わたしたちが目指しているのは「非攻撃的自己主張=Assertion」ですが、これにも歴史的な背景が存在します。

 アサーション・トレーニングとは、1970年代から80年代にかけて、黒人解放運動、女性解放運動などの成果として「人種差別撤廃条約」「女性のための権利条約」などが国連で採択され、歴史的社会的文化的な背景は、差別を正当化する理由にはならない。わたしたちの社会は変わらなければならないことが、国際社会の合意になりました。

 もちろん、日本の現政権のように、これらの合意を無視し、戦前の軍事国家に戻りたいと画策している勢力が存在するように、国際合意の存在は、「歴史的社会的文化的」な事実を背景とした現状に生きる1人ひとりを助けてはくれません。では、1970年代80年代までの運動が行ってきた「異議申し立て」を再び運動化できるか? それは、否です。熱が失われたのではなく、よりごまかされやすくなっているのです。

 声高に主張をしても、国際的な合意は認めつつ、「すぐに変えることはできない」と言われたり、「日本の独自性」が言われたり、するのです。あるいは、歴史的社会的文化的な背景に育った女性自身の選択としての現状肯定が持ち出されてきたりすら、するのです。

 では、1人ひとりは、どう生き延びるのがよいか。その一つの答えが「非攻撃的自己主張」アサーション・トレーニングでした。CAP, Child Assault Preventionプログラム(子供への虐待防止のための予防教育プログラムの略です)という予防教育プログラムも、実は開発者は、WAR, Women Against Rapeという女性のための運動団体でした。子どもたちに「いやのことはいや」と言う力をつけるための教育にとりかかったのは、女性の強姦被害をなくすための活動をしていた団体なのです。

 非攻撃的自己主張、アサーションの背景に、これらの運動、社会的提言活動があることを押さえておくことはとても重要です。

 変化は合意されている。だから、わたしたちはこの社会に対して攻撃的である必要はない。しかし、差別は、一つひとつの現場で継続している。その差別に対して反撃的、すなわち攻撃的に対してしまわないことは、難しい。攻撃の方が有効なようにすら見えるのです。

 アサーションは、社会を変えるのだというアドボカシー意識を背景として、習熟されるべきスキルなのです。Personal is political. 個人的なことは社会的政治的なことなのです。

>>市民性教育とアドボカシー 熟議型民主主義の時代に
 やっと、今回の主題にたどり着きましたね。市民性教育の第一の柱「コミュニティ意識」にしっかりと言及することなく、アドボカシーは語れない。といことだと、ご理解ください。

 「気づきから行動へ」を3A’sと表現したのは、環境教育学者であるジュン・フィエンさんでした。Awarenessまず気づきがあり、Attitude態度変容があり、そしてAction行動変容があるのだと。これは、ワールドスタディーズなどが準拠している教育理論の「知識・態度・技能」の枠組みにも共通しています。

 Actionの部分をさらに見て行くと、さきほどのAssertionもあり、Advocacyもあります。アドボカシー、社会的提言は、「気づき」から始まるのです。

 社会的提言そのものの歴史を見てみましょう。

 科学史について研究している中山茂さんは、1970年代の市民運動を「公害型」、そして1990年代の市民運動を「地球環境型」として、それらの特徴を「糾弾・ボトムアップ」と「啓蒙・トップダウン」*と比較しています。NGOやNPOは、「地球意識」に導かれ、国際社会の合意形成に参加し、かつまた「アジェンダ21」が言うように、ローカルで活動する実践家でもあるのです。そういう意味では、NGO/NPO自身が「トップダウン」の、Think Globally, Act Locallyの活動であったわけです。(そういう意味で、この表には同意しがたいですが。http://ericweblog.exblog.jp/17569835)

 すなわち、国際合意を遵守しなければならない国家・行政とは協力関係にあり、さらには、国際的にはより高いレベルでの行動目標に合意が得られるように、「アドボカシー=社会的提言」する存在であるのです。

*科学革命の現在史 日本の持続可能な未来のために
中山茂、吉岡斉、学陽書房、2002

 ボトム・アップであった時、人々が自分自身の利害のために、無償で活動すること、そして、権力に対抗するために、科学技術的根拠で戦うことに協力する学者たちもまた無償で活動をいたしました。

 しかし、90年代にその様相が変わったのは「行政との協力関係」にあるNGO/NPOが、啓蒙活動をする時、それは行政の利益にも適うことであり、事業化していったことです。行政が満たし得ない公益的サービスを多面的かつ多様に充たす存在になってきたのです。

>>>民主主義の四類型と熟議型民主主義
 民主主義についての理論化もすすんできました。直接民主主義か間接民主主義かという単純な議論ではなくなっています。当たり前のことですが。

 教育の現場では、民主党政権時代に、文部科学省副大臣であった鈴木寛さんの発題で行われた「熟議カケアイ」が、「熟議」という言葉の認知度を高めました。そのDeliberate熟議という言葉で民主主義の理論を整理しているのがフィシュキン*です。

*人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義
ジェイムズ・S・フィシュキン、早川書房、2011

 直接民主主義か間接民主主義かは、フィシュキンの整理によると、「競争的民主主義」か「エリートによる熟議」かという選択になります。

 フィシュキンは、近年の国民投票などの「テーマ毎に意見を戦わせる」ニーズという傾向から、世論調査のあり方そのものの新しい形を「討論型世論調査」deliberative pollとして提案しているのです。

 それは大衆的参加を実現するのではなく、アンケートによって選ばれた人々による熟議のプロセスを経た結果を、世論として政治的意思決定に活かそうという試みです。その背景には、多くの人々がたとえ国民投票、住民投票という重要な選択であっても、必ずしも、その問題について「熟考」あるいは少なくとも「知った」上で投票しているわけではないという調査結果からです。

 時代の転換点にあって、熟議すべき課題は無数にあるように思います。*
原発、外国人の参政権、ヘイトクライム規制法、消費税、道州制、別姓、選挙制度、ナンバーカード制度、TPPへの参加、沖縄問題、日米安保条約・地位協定、生活保護の支給基準、憲法、年金税一体改革、国民投票制度、拉致問題・北朝鮮、尖閣諸島・竹島などの領土問題、薬害、中高一貫教育、いじめ・・・

Name one, it is IT! 状態です。

*「熟議ファシリテーター養成講座」第四回資料より http://ericweblog.exblog.jp/17685265

 フィシュキンが提案していることは、「市民参加」も重要であるが、「熟議」することこそが、いまのパラダイム・シフトの時代に求められる民主主義の智恵なのだということです。

 アドボカシーのためのさまざまな方法論は、これまでも整理されてしました。* わたし自身も、それらの方法論を「アドボカシー・ビンゴ」というアクティビティでまとめています。

*NGO/NPO キャンペーン・ハンドブック、未来のための教育推進協議会,2002

 しかし、明らかに、政策提言団体と一般市民の、問題についての理解度は乖離する傾向を強めています。また、それぞれの専門的な分野における政策提言能力が必要だとされたために、専門性が細分化してきていることも否めません。これからは、市民運動そのものにおいて、市民によるアドボカシー能力、社会的提言のスキルとして、「熟議」が重要なキーワードになることは間違いないでしょう。

 熟慮でも熟考でもない。「熟議」とは、参加者の交互作用から生み出される思考プロセスの結果生まれてくる智恵に期待するものなのです。

>>熟議における思考プロセス
 では、「熟議」とは、本質的に何なのか。フィシュキンがデザインしたプロセスは、「アンケートによって世論調査をする」(政治参加への配慮)「代表的な世論を選び出す」(政治的平等への配慮)「選ばれた人々が討議する+選ばれた人々に対して、専門家が講義をする+さらに討議する」(熟議)というアンケートと討議、そしてコンセンサス会議のような「素人パネル」と「専門家パネル」の組み合わせも取り入れているものです。
 「2日間の討論で参加者の意見にこれだけ変化が 起きるということは, その問題に対 する人びとの 態 度 が 固まって い な いということでもあり,そ のような 問 題 こそ D P を 実 施 する意 味 も大 きいといえる。
 つまり」「政策に対する態度の変化の大半が、熟議前の準備学習よりも、会場でのバランスの取れた熟議の中で起こる」
 これが熟議の本質です。
 フィシュキンは、日本での実践をNHKが取材した時に、とてもおもしろいことを言っています。「小グループでの議論がもっとも貴重な体験」
そして、こういうことも言っています。「専門家が大衆、またはその代理人の代りを務めることはできない。」

「認識の深化や意見の変化」が、しっかりと情報を得た上で、「1人で」起こるのではないことに注目する必要があります。ということは、わたしたちが調べるべきことは、「1人で読書した後」に起こる「認識の深化や意見の変化」との比較であるのかもしれません。ま、そんな調査はされていないようなのですが。
 もう一つ、あきらかにして欲しいことは、一度「熟議」を体験した人が、その方法論を応用することができるようになっているかどうか、ですね。

 さらには、1990年代を経て、市民団体も、「市民」と言いながら「専門家」になってしまっていること。市民団体こそが「熟議」する力を身につけなければならないことを知る必要があります。NPOは「市民を代弁」することはできないのです。

>>>熟議のプロセスで起こっていること
 討議する→専門家の意見を聞く→討議するというようなプロセスで、1人ひとりの思考プロセスに起こっていることが鍵であるということがわかります。それはどのようなプロセスか、そのことが確認できたのが、「熟議ファシリテーター養成」の第四回でのことでした。
 自分自身の関心のあることを出し合う。分析する。発見する。深める。先行知見などを調べてきて報告する。さらに考える。
 書斎とフィールドの往復運動という、川喜田次郎さんが言う「W型」フィールド調査の思考プロセスに似たような思考プロセスを1人ひとりが経ることが、「熟考」であり、そのプロセスを「討議」によって実現するのが「熟議」であるのです。ポイントは、「誰も、あなたの代りをすることができない」ということです。あなたを代弁できる人は、どこにもいないのです。

 このことは、さらに、「自由」とは何か、という問題につながる課題ですが、その問題については、また別の機会に論じたいと思います。

 熟議の力、あなたは身に付いていますか?


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2. 桐に恋して 

 桐の種を撒きませんか。という呼びかけに応じて、いただいた桐の種を撒きました。マンションのベランダで、全滅でした。

 先週、また別の「森の駅推進協議会」主催の会合があり、八木さんにお会いして、そのことを伝えたら、「冷蔵庫に一度入れて、冬を体験させてからの方がよかったかも」と教えられました。また、種を送ってくれるそうです。

 PLTファシリテーター・ネットワークとして、ぜひ、取り組んでみたいですね。

 さて、「森の駅推進協議会」市民フォーラム、今回は、「よみがえる古民家」。表参道にあるネスパス新潟県というアンテナショップの三階が会場でした。

http://ericweblog.exblog.jp/17679058

1人の「家を植える男」がもたらした地域環境の変化に、驚きます。

わたしたち1人ひとりが、身につけたい力でもありますね。

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3. 2013年ERIC主催研修

<<< 1.テーマ「国際理解」 2013年6月29日30日
2. テーマ「環境」 2013年7月27日28日
3. テーマ「人権」 2013年9月28日29日
4. スキル「対立」 2013年10月26日27日
5. スキル「市民性」 2014年2月22日23日
6. スキル「TEST14 Teachers' Effective Skill Training 教育力向上講座 2014年3月 予定

今年度の統一テーマは「熟議力」です。


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4.ERIC25周年!

 もう、二年間も言い続けている25周年。いつがそうなんだか、本人にもわけが分からなくなってきていますが、1989年設立です。今年が満25年ということですね。
 25周年を記念して、ERIC事務所の内装を改善し、機能性を高めたいと思っています。永年使い続けている身にとっては使い勝手のよい事務所なのですが、どう見ても、初めて来た方にフレンドリーとは言いがたい。どう改善できるか、課題なのですが、内装に手をつけるのはお金がかかる!

 みなさまの場としても、希望をお寄せください。そして、また、ご寄付も。

>>>>>>>ERIC25周年に向けたご寄付のお願い <<<<<<<<

1989年誕生の参加型学習老舗のERIC国際理解教育センター。なんと2014年には25周年を迎えます。
これまで続けて来られたのも、企画委員、運営委員、理事、テキスト購入者、ファシリテーター育成事業参加者など、みなさまのおかげです。感謝です。
これからもよりよい「指導者育成のための実践」推進のための情報提供、研修プログラムの提供などに努力していきたいと思います。

日常活動に加えて、25周年に向けて、事務所のリニューアル、フューチャーサーチ走向未来ワークショップの開催など、企画しています。

特別活動支援のために、テキスト活用、研修参加などのご支援に加えて、ぜひ、ご寄付をお寄せください。よろしくお願いいたします。

ご寄付先 金融機関

ゆうちょ銀行口座: 
10020-3288381 名義:トクヒ国際理解教育センター(ゆうちょ銀行同士)
◯◯八(ゼロゼロハチ)店008-0328838 名義:トクヒ国際理解教育センター(他の金融機関から)

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  (特定非営利活動法人)国際理解教育センター
ERIC:International Education Resource & Innovation Center

〒 114-0023 東京都北区滝野川1-93-5 コスモ西巣鴨105
  tel: 03-5907-6054(研修系) 03-5907-6064(PLT・テキスト系)
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  ホームページ http://www.eric-net.org/
  Eメール   eric@eric-net.org
  blog 「 ESD ファシリテーター学び舎ニュース http://ericweblog.exblog.jp/
  blog  「PLT 幼児期からの環境体験」
http://pltec.exblog.jp/
  blog 「リスク・コミュニケーションを対話と共考の場づくりに活かす」
http://focusrisk.exblog.jp/
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by eric-blog | 2013-04-30 08:54 | ERICニュース | Comments(0)
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