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叩かれても言わねばならないこと。 「脱近代化」と「負の再分配」

叩かれても言わねばならないこと。 「脱近代化」と「負の再分配」
枝野幸男、東洋経済新報社、2012
1890冊目

現役の、しかも、週に2-3日出勤の知事や市長と違い、でずっぱりの官僚が書いた本。エネルギーと原発のこれからの選択肢についての公聴会、さいたま、であいさつに立ち、最後まで臨席していた姿と、挨拶の内容を聞いてから、この人は信頼できると思っていた。1964年生まれ。48才。まだまだこれからの政治家だ。

何が信頼できると思ったか。「原子力を持つのは核軍備のためという人がいるなら、それが本当なら、わたしは命を賭してでも阻止します。」だった。

この本を読んで、彼の経済産業省大臣として「クール・ジャパン」「日本ブランド」にかける思いを知った。しっかりと自分自身に自信を持つことは大切だ。そして、日本ブランドにはその力がある。

さらに、この本を読んで、共感したことは、時代認識だ。一つは「近代の行き詰まり」である。わたしは、「教育の人間化」が「近代の近代化」のための鍵だと思っている。枝野氏も近代の行き詰まりについては同じだ。しかも、これまでの経済発展によって可能であった「富の再分配」構造が、「負の再分配」構造に入っているという。

彼がもっと教育に目をむけてくれたらなあ。ということは、鈴木寛氏との連携というところだが。いかんせん、彼らの回りには慣性運動であり抵抗勢力でもある官僚制度とそれに対する抵抗運動がとりまいているわけだが。それはそれとして、枝野氏の論拠を整理しておこう。

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脱近代化とは近代化をやめるということではない。

マニュアル化を進めれば、すべてを克服できるというのが近代化の発想だ。これに対して、どこまでやってもすべてに対応できるマニュアルは作れないというのが脱近代化の考え方である。

近代化のアクセルを踏んでももはやリスクを小さくできなくなる。リスクを小さくして得る利益よりも、それによるひずみの損失の方が大きくなる。これが近代化プロセスの臨界点である。

まず、近代化のプロセスですべては克服できないという謙虚な認識を共有すること。それが脱近代化の時代の始まりとなる。

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確かに日本は1868年の明治維新から近代化という「坂の上の雲」を目指して歩み、1980年代後半のバブル期、その頂にたどり着き、雲をつかんだ。たどり着いた先で上を見て、まだ雲がないかずっと探し続けているのが、この20年だった。

ふりかえると、やはり坂の上の雲を目指して、新たに歩んでくる人たちがたくさんいる。

山の頂にたちどまっていたら、後からくる人たちに押し出されて崖から落ちてしまいそうになる。

坂の上まで登っていくルートはたくさんあるが、峰をたどる道は細く険しい。

細い峰を歩いている時は、目指す方向も歩き方も違うということだ。足元をしっかり見て考えなければならない。

近代の定義=規格大量生産大量消費
近代化は、科学技術の成果によって生産力が飛躍的に伸び、生活の水準が向上するプロセスをさす。

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経済の活力を維持する。
そのためには日本ブランドを売る事、海外に投資してリターンを得ること。

価値創造モデル。

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脱原発依存を郵政改革にしてはいけない。簡単に決定がひっくりかえされるものにしてはならない。

抗議デモが力になる。

[そうか、それでテント村は存続できているのか]

二段階で廃炉のプロセス。

安全基準に達していない原発は廃炉にする。安全度ランキングの低いところから計画的に廃炉する。この二段階で原発ゼロに近づけていく。

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ひとつの時代が終わるためには、まず意識改革が必要になる。「封建社会は終わった」「軍国主義は終わった」「近代化は終わった」という意識をみんなが共有するところから、真の改革は始まる。

「原発には依存しない」とまず決める。そこから逆算していまなすべき事を構想し、着実に実行していく。

私の本音を言えば、現代の鈴木貫太郎の役割を鳩山由紀夫さんと菅直人さんにやってほしかった。旧来の秩序にきっちりと終わりを宣誓してほしかった。
その後で、私たち後続世代が吉田茂の仕事をしようと考えていた。

それがかなわなかった。誰かが、鈴木貫太郎と同じような困難な仕事を果たして行かなければならない。

[鈴木貫太郎、77才で1945年4月から8月、総理大臣を勤めた人]

消費が冷え込んでる理由は「買いたいものがないから」
では「買いたいもの」とは何か? 老後の安心と、子育ての安全。だと枝野さんは言う。そのような民間活力を支援しつつ、「小さな政府、大きな行政」をめざすのだと。

[ちょっと、このあたりはごまかされている感じがあるなあ。いま、都市住民であるわたしたちは3割以上もの税金、年金、保険の支払いに、3割前後の住宅ローン、1割から2割の教育投資に、可処分所得がちょっぴりという現実を生きているのではないのか? 都市と地方の違いを政策にも明確に示さなければ、近代は語れないように思う。]

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責任の共有

最優先されるべき「公正さ」
そのためには国民が政治に参加すること
決定の当事者になる。

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今回の衆院選挙に対するエールですね。(^ ^)

国防軍、憲法改悪の自民党は、「近代化」の夢をもう一度と、アクセルを吹かすだけの政策てんこ盛り。足元を見ていないことはあきらかだ。「明治の元勲」の夢をもう一度はやめてください。安倍総裁!
by eric-blog | 2012-11-24 09:45 | ■週5プロジェクト12
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