「主権者」は誰か 原発事故から考える
日隅一雄、岩波ブックレット830、2012
1855冊目
1.情報は誰のものか
2.誰のための官僚か – 主権在官の実態
3.司法の限界
4.主権者として振る舞うために
NHK番組『メルトダウンの真相』は福島第一原発の2号機と3号機の水素爆発は防げたはずだということを、USAとの比較で描き出している。「安全神話」にのっかって、シビア・アクシデントの備えをしてこなかった実態が明らかにになった。バッテリーを準備していない、装置が電源喪失などによる手動の可能性を想定していなかった、原発敷地内が高線量になった場合の備蓄支援の方法を考えていなかった。などなど。
なすがままに流れて行った核反応停止のための作業は、現場の悲愴感とともに、現場も、周囲の住民も、誰の人権も考えられていない「日本という国の原発」のあり方を描き出していた。
NHK メルトダウンの真相http://www.dailymotion.com/video/xsbagw_nhkyyyyyy-yyyyyyyyyyyy-20120721_news
主権者は誰なのか?
その問いを立てなければならないと、亡くなった日隅さんは、書き残した。
主権者として振る舞うための「五つの条件」
1.自分たちのことについて判断するため、必要な情報を得られること
2.情報に基づき、市民が代表者としてふさわしいと考える人物に投票できること
3.国会で自由闊達な議論が行われ、立法や政策に市民の意思が反映されること
4.法律を執行する行政を監視するシステムがあること
5.国民が自ら主権者として振る舞うための教育などが行われること。
ここでも、教育なんだよなあ。なら、みんなでなんとかしようよ。
2001年の省庁再編の潮流は「新型官僚」を生み出したと、塩田潮さんは言う。
官から政へ権力は移る。しかし、官僚も自らが新しい霞ヶ関のあり方を探ろうとしているのだと。塩田さんが描いているのは、必ずしもすべてが「新型官僚」の姿ではない。そこには、再編されても、そのまま横滑りの人事があったことも描かれている。
『誰がための官僚 「霞ヶ関の逆襲」は始まるか』塩田潮、日本経済新聞社、2001
「官僚の発想の底流には、国民不信、生死世不信など不信の集積があった。官僚の本質は・・・むしろ優越意識と強烈すぎる自負心の発露ではなかったか」389