ラコタ・ウーマン
マリー・クロウ・ドッグ、第三書館、1995
原著1979, 初刊1989年
1819冊目
著者は、1953年生まれ。わたしの姉と同い年だ。その彼女が「インディアンの女性であるということは、困難ばかりがつきまといます。」という現実は、1970年代のことだ。彼女の部族はラコタ。スー族だ。
10歳で寄宿学校に送られ、インディアンであることを否定され、白人と同じ文化を強制される。なぜ、シスターたちは、子どもを鞭打ち、罰し、罵倒することができるのだろうか? 「インディアン問題の解決」としてインディアンを白人化しようと決めた人々は、相手のことを人間だと思う感覚を身につけていないのだとしか思えない。1970年代! そんなに遠い昔のことではない!
祖母や母の世代は、白人化を受入れた世代だ。そして、マリーたちは、インディアンのアイデンティティを取り戻そうと戦った世代だ。1972年ワシントンへの行進、1973年のウンデッドニーの占拠、彼女は、American Indian Movement(AIM)の活動に参加することでインディアンとしての自分を取り戻して行く。スピリチュアルな儀式や習慣によって、覚醒していく。
1890年のウンデッド・ニーの大虐殺が、大きな武装抵抗の最後であったと言われる。そして、人種差別がもっとも激しいと言われたラピッド・シティ。売り払われたブラックヒルズ。
なんとなじみのある地名がどこどこ出てくる。地図にプロットしてたどりたいぐらいだ。
今回の米国出張では、とても近いところに行っていたのだなあ。
インディアンが、殺され、強姦され、不妊手術を合意なしに処置され、ばかにされ、喧嘩を売られ、裁判を起こし、裁判にかけられ、などなどの合間に、生活があり、子どもを生み育て。
確かに、インディアンの女性であるということは、大変なことだ。そして、それはいまも続いているのだろう。激しい弾圧がなくなった時の方が、生き延びるのは難しい。