古代への情熱-シュリーマン自伝

71-1(321) 古代への情熱-シュリーマン自伝
ハインリッヒ・シュリーマン、新潮文庫、1977

初版は1891年、自伝にアルフレート・ブリュックナー博士が手を入れたもの。シュリーマンは1822年生まれ、1890年志望。

共有され伝えられてきた物語の歴史的根拠を探したものとしては『ノアの洪水』69-2(314) の情熱と同じである。また、犯した間違いも同じである。自分たちの証明したいもの、すなわちそれぞれにトロイアの遺跡と旧約聖書の洪水に迫ろうとするあまり、自分たちが発掘している発見しているものの価値をそこだけに収斂させていく方法論的拙速さと強引な解釈である。
しかし、そのような「正統な学問」「考古学的方法論」が「わたしたちはどこから来たのか、そしてどこへ行くのか」という問いに対する答えとしての科学、学問を推進してきたとは思えない。
わたし自身も教育学的な研究方法論によっては直観に導かれた学習が積み上げられたほどの何ほどにも到達しなかっただろう、と自信をもって言うことができるように、「わかる」「知る」というのは全体性、全体の絵、見通し、方向性などと、知る、わかるための方法論と実践の双方が必要なのだと思う。思うことと学ぶこと。
さて、考古学的に「学ぶ」というのは過去の遺物をほっくり返すことである。そのためにはお金がかかる。シュリーマンが、人生の前半を資金稼ぎのために当てたことはよく知られている。発掘に取り掛かりだすのは46歳。いちばん感動的な部分は、当時の学説でトロイアの遺跡として有力であったピナルバシの着いたとき、シュリーマンは、その場所の特徴にそれまで読み込んでいた物語の細部との不整合を感じ取る。1868年のことである。
そしてその場所から北に、そしてもっと海に近い場所に、平野に張り出した台地の突端状のヒサルリクこそが、物語に歌われた、海峡を望む、トロイア全体を睥睨しおさめるにふさわしい場所であると、発掘にとりかかる。1871年のことである。

ヒサルリクは、トロイアの後も、さまざまな砦が築かれ、崩れ、また築かれを繰り返したために、張り出し部分が広がった丘になってしまっていたという。そして、その丘をシュリーマンは、横穴壕を掘って、どんどん掘り進むのだ。出てくる紀元前5世紀の遺跡・遺物にがっかりしながら。これが「考古学的」には許せない、ことだったのですよね。素人のわたしが読んでも、このあたりは乱暴。ぐいぐい崩されていく歴代の遺跡。そのほとんどは、復元できないかもしれないのに。

でもね、ですよ。バージェス頁岩やグリーンランドのシリウス・パセット化石動物群から動物の化石だけを掘り出してきたり、ダータネルス海峡を音響ソナーで海底探索して、海底にある海峡の形だけを特定するために船を走らせたり、大腸菌やファージを使って遺伝子だけの研究をしたりなど、あああーーー、もったいないだろ、化石でなくても、その場所がその地層形成が、もっと何かを語っているだろうに、海底の堆積の層までソナーでわかるのに、その縞々がもっと何かを語るだろうに、細胞の中のすべてが遺伝に効いているということがわかっただろうに。。
そして後世の学者たちは、再び同じ場所を、同じ方法論で、しかし、違った視点で掘り返し、船を走らせ、細胞を取り出すのだろう。それでも、現在のわたしたちの科学学問は、ずいぶんと洗練されてきているはずなのだけれど。だから、そのときの学問的な動向にあっているあっていないなんて、何の意味がある?

シュリーマンは、トロイアの遺跡を発見し、そして『イーリアス』の物語が本当のことであったということを証明したのだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、子どもの頃、その物語に触発されて夢ごちたように、発掘物を見て、また夢ごちたのである。夢というものが個人の解釈、思い以外のなんであることができるだろうか。

うーーん、今日の夢は良かったなー。
今年の運勢がビッグコミックオリジナルに出ているけれど、「8月生まれは、今年は信念を強くもってあたるべし」なのだそうだ。弱い信念と強い信念はどう違うか。シュリーマンが示すように、あきらめない、ということに尽きるよね。でも、その占いによると、今年はすごい年になりそうなんだよね。世の中の12人に一人にすごいことが起こる年ってどんな年なんだろうか?

だから、大切なのは両方なのです。いつも。個人の思いと、方法論。全体の思いと方法論。「不完全の発掘技術に伴うあらゆる欠点をそなえ、専門知識と言えば穴だらけのアウトサイダー」137と1960年の解説者エルンスト・マイヤーは表現する。

シュリーマンと言えば、もうひとつ忘れてはならないのが、語学である。『イーリアス』を原語で読むという情熱からだけでなく、彼は多数の言語の才能で、19世紀の貿易商として成功できたということは忘れてはならない。彼は、語学を習得するのはたやすいことだという。26
・大きな声でたくさん音読すること
・ちょっとした翻訳をすること
・毎日一回は授業を受けること
・興味のある対象について常に作文を書くこと
・そしてそれを先生の指導で訂正すること
・前の日に直した文章を暗記して、次回の授業で暗誦すること
彼はこれを「どんな言語でもその習得を著しく容易にする方法を編み出した」のだというのです。ね、どれほど変わった人であるか、よくわかるでしょ? それを何ヶ国語についても一心不乱にできたというのですから。そのドライブの根源はなんだったのか、知りたいですよね。24歳のことですけれど。
・英語については『アイヴアンホー』と『ウェークフィールドの牧師』
・フランス語については『テレマコスの冒険』『ポールとヴィルジニー』
・オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語は、これらの基礎のおかげで楽だったとか。、
・ロシア語は『テレマコスの冒険』の翻訳版で。
ラテン語は子どもの頃に、ギリシア語は『ホーメロス』へのあこがれとともに。
ドイツ人ですけどね、彼は。
わたしも、すばらしい文章だと言われる『ガリア戦記』をラテン語で読んでみたいなとは思いますが。一人ひとりが「どんな言語でもその習得を著しく容易にする方法」を考え出すしかないですね。

本としてはあまりおもしろくなかったです。体系的に順序だてて書かれていないので、時間空間的なことがわかりにくいし。はい。
[PR]
by eric-blog | 2005-01-12 11:21 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)
<< 公正さとしての正義 再説 ドーキンスvsグールド >>