人類館 封印された扉
演劇「人類館」上演を実現させたい会、アットワークス、2005
1810冊目
植民地主義のもとで行われた植民地の住民および民族文化の展示を、植民地展示と定義する。72
1851年 ロンドン万国博覧会
1889年 パリ万国博覧会 植民地集落「生身の人間」展示
1889年から1891年にかけて英国留学していた坪井正五郎が、1903年第五回内国勧業博覧会に「人類館」の設置を働きかけた。そこに「展示」されたのは、アイヌ、台湾、琉球、印度、ジャワ、バルガリーの人々であった。
この本が問題提起するのは、いま、眉を顰めるであろうわたしたちは、この時代とどれほど違うのかということだ。
展示する側、される側。研究する側、される側。語る側、語られる側。
見る側、見られる側。まなざす側、まなざされる側。
騙す側、騙される側、騙し続ける側、騙され続ける側。
差別する側、される側。差別し続ける側、差別され続ける側。
見たいものを見る側、見たいものを見せる側。
見たくないものを排除する側、見たくないものを・・・
ヤマトに期待されるウチナンチューを演じてしまう。ヤマトに力があることの証明。
第二の扉は、学術人類館跡地へのフィールドワーク
第三の扉は、ライブと、映画監督、表現者から見た沖縄。
第四の扉は、演劇「人類館」大阪公演から。
第五の扉は、展示された側の叫び
人類館的視線の檻からの解放は、まなざしの共有なのか。
その視線にとらわれているのは、見る側こそ深い。
TESTのキーパーソン・インタビューで訪問した関西沖縄文庫の金城馨さんは、第三の扉のパネルディスカッションのコーディネーター。「ここまでの話しをまとめますと」あららら、あれほど何時間でもしゃべれる人が。
なぜ、学ぶのか。これは、わりに応えやすい。学びと実践ってなんだか、まだつながっている感じがするから。
でも、なぜ研究するのか。と、質疑の中で、問われているのだけれど、これは、難しそうだ。