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沈黙を破る 元イスラエル軍将兵が語る”占領”      再び

沈黙を破る 元イスラエル軍将兵が語る”占領”      再び
土井敏邦、岩波書店、2008

340-4(1479)で一度、紹介している。
http://ericweblog.exblog.jp/10175816/

2010年2月、ちょうどWAMで上映会があり、参加できなかったので、本だけと思ったのだ。

今回、『”私”を生きる』を制作したきっかけなどもお聞きして、はたと思った。実は、照射されている日本の方が、大切だったのだと。

改めて読んでみて、土井さんの気持ちが胸にささった。

後半だ。184ページ。「自分の”怪物性”に気づかない日本社会」
引用する。

「戦場や占領地で相手に暴力を振るったり殺戮したりするとき、その相手が”同じ人間”ど考えたら、その行動がとれなくなるという告白が、元イスラエル軍将校ユダのなかにある。」

対して、日本は野田正彰さんがまとめているように「集団による虐殺、傷つかない心、情景への一抹の感情、この三つは一体となってそれぞれの日本人を特長づけている」。「身体は傷ついても、心は傷つかない不死、すなわち感情麻痺」

野田正彰さんの『戦争と罪責』1998

「殺した相手を追想によって、一人の人間に変える作業は、富永さん自身を集団の一員からひとりの人間によみがえらせる道でもあった」187
「命令者によってやらされたということだけを言っている限り、結局、自分は自分自身の主人公になれない。」
「そういうことに気づいたら、日本社会では生きて行くのがすごくしんどくなってしまう。」187

日本人の「仮面」ですらなく、「皮膚」なのだという。

「発言を受け止めない社会」
「罪の意識を否認する社会」
「自分が怪物だったと、見つめる社会環境がない。」194

まずいよ、とか、やっていけないよ、とか。

「私たちに本の社会は、自らの加害の歴史と現実にどう向かい合うによって、その健全さと民意の成熟度が試されているような気がしてならない。
ある意味では「沈黙を破る」の元将兵たちのち証言と向き合うことは、私たち日本人自身のあり方をとうことでも ある。」199


今回のスキル「みんな」で分析したこと。「HowがWhatを規定する」どのように考えるかが、何を考えるかを規定する。

そして、専門家というのは、Howなのであると。

官僚を見ていて、彼らのHowが彼らが何を考えるかを規定していることを実感する。どんなに「緊急事態」「被災地支援の緊急性」を言おうとも、そして、彼らが「協力します」と宣言しても、「いつも通り」の判断に戻ってしまう。

官僚という枠を超えて、「人間」のために行動する規範と原則を彼らはその思考のHowに持っていないのだ。

そして、学生たちを見ていれば、わかることだが、
何者かになるまでは、何も考えない日本という社会。

人間という共通基盤が育っていない社会なのだなと、この本を読んで改めて思った。

こういう本だったんだね。改めて、出会う。
by eric-blog | 2012-02-03 09:06 | ■週5プロジェクト11
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