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ミーナ

立ち上がるアフガニスタン女性
メロディ・アーマチルド・チャビス、耕文社、2005

スタンとは場所のこと。アフガン人の場所、アフガニスタン。しかし民族も宗教も多様な人々が暮らしていた国。1912年に王政共和国として独立した時、王は西洋化路線を取った。人々は古いものと新しいものを融合させる努力をした。王の弟はソ連を引き込んでクーデターを図った。ソ連は商品作物を生産するための、灌漑や流通のためのインフラを整備し、その中で伝統的な農村は姿を消した。
また王政時代の人材も殺された。ソ連に対抗するための資金提供を受けた「戦争屋」がはびこる。
人々は平安を求めてタリバンを受け入れる。アフガニスタンを掌握したタリバンはイスラム原理主義を押し進め、女性は働くことも学ぶことも禁じられる。

1976年、大学生だったミーナは、どの勢力に荷担しても女性の権利は守られないと、RAWAアフガニスタン女性革命協会を立ち上げる。
あらゆる暴力が国内を吹き荒れる中、女性が運動することは困難を極めた。
ミーナは信頼できる仲間を増やしながらも、偽名を使うなど互いが互いのことを知らないネットワークを作り上げる。
1981年、フランスで開かれた国際社会党大会に、ソ連の代表も参加する中、ミーナはアフガニスタン国内で起こっている暴力を告発する。それがミーナの身を危険にさらすことになるのは明白であった。

女性が殺されても警察は動かない。女性が暴力を受けても警察は調べない。

1987年に暗殺されるまで11年の間、RAWAはデモを組織するビラを配り、弾圧の事実を告発する「女たちの声」を発行し続ける。
アフガニスタンから逃れてきた女性たちのための授産活動や識字学級。そして、自分たちの病院建設に取り組む矢先の出来事だった。

ミーナを失ったRAWAは、安全を堅めつつ活動を継続する。

アフガニスタンが世界の関心を集めたのは、皮肉なことに、2001年9月11日、アル・カイーダによるアメリカ攻撃以降だった。

いまも状況は、楽観を許さない。
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by eric-blog | 2011-08-23 19:15 | ■週5プロジェクト11
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