人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山里の釣りから

山里の釣りから
内山節、岩波書店、1995

1980年初版のものを、同時代ライブラリーに再録。奇しくもそこからさらに15年たったいま、読んでいる。まったく色あせていないことに驚く。

細やかな渓流との、釣りとの対する姿勢についての描写があまりに美しいので、失っていきつつあるものへの思いが募る。

変化したのは自然だけではなく、自然と人間とのあり方も変化した。
渓流が荒れたのはダム工事などの、都会の都合のせいである。

「山村は年への水と電力と労働力の供給基地になった。」133

そのために、川が流れとしてつないでいた物流、経済関係も断たれた。そして、魚たちの行き来も途絶えた。

山里の営みは自然への働きかけであって、「労働」という概念にはそぐわない。「生」と「生活」そのものが、営まれていく。

「山里の社会は、すべてが村人の労働と生活から形成されていく社会である。ここには労働と生活に関係のないものを虚妄として切り捨てていく思想がある。」192

内山さんは、この社会に国という最大の虚妄が根をおろしうるのかを、別の機会に検討しなければと、問題提起する。

都会に切り取られ、それでも都会からの観光客を誘致したり、したたかに山里で活きていく。

「木を育てる。山を育てる。それは人間の営みっていうもんだ。」204

それを「労働」という見返りと単価で測ってしまうと、山が荒れるだけなのではない。
人間の営みも荒れるのだと。

「戦後の高度成長期に山村がもっともくるしい状況に追い込まれたのは、一つには都市型専業労働の価値観が山里に元込まれたことに原因があった。もちろんそこには山村の伝統的生産物が商品価値を失うという裏付けがあったことも事実だが、山村型の雑多な労働に従事することが遅れたものとして映っていた点も見逃すことはできない。」215

子どもを高校、大学へとすすませるコスト。そして、卒業しても専業の仕事につこうとする限り、村には彼らを受け入れる場所がない。

「子どもに教育を受けさせていくことは、その子どもが村の生活から脱却していくことであり、そうやって都市型人間に移行していくことがやはり村人にとっては進歩であり出世の意識だった。」216

山村は、しかしながら、農村と違って自給自足ではない。だからこそ、つねに雑多な商品作物を作りながら、交換経済の原動力ともなってきたのではないか。

労働の交換。炭をつくる労働と米をつくる労働を交換する。

交流を前提にしか成立しない。「川を縦糸にした文化、労働、生活圏の形成こそ、山村における自給圏の成立だったのである。」228

「雑多な労働、複合的な労働の基盤の上に山村自身が自立できる方法を考えなければならない。」228

都市の生活と労働のもついびつさ。

「労働自身が人間的営みであり楽しみにならなければ、どうしてそこに人間的な、自由な生活をつくりだすことができるのだろうか。」231

「協業は生産力の発達にとって必然であるが分業はかならずしもそうではない。・・・分業は現代の商品生産にとっては一つの調和された社会をつくりだすが、それは労働にとって調和された社会ではない。」233

都市の労働には人間的な営みがない。労働本位制の社会を考えるためのテーゼとしての山村。

とてもおもしろい。肥大化してしまっている都会を、山村型営みに変えることは道が遠いが、山村に暮らすひとがもちっと増えたりすることは、可能なのではないだろうか。
by eric-blog | 2011-08-04 09:41 | ■週5プロジェクト11
<< 科学コミュニケーション論 イスラム飲酒紀行 >>