言霊 なぜ日本に本当の自由がないのか

63-3(289) 言霊 なぜ日本に本当の自由がないのか
井沢元彦、祥伝社、1995、[北区]

文庫版、もともとは1991年。井沢元彦さんのものは『恨の法廷』をすでに紹介している。年齢もわたしと一才違うだけであるせいか、論理や掘り下げ方やこだわり方が理解しやすい。本人が後書きで言うように、ノンフィクション第一作であるらしい。「差別語狩り」に対する怒りからこの本を出したというわりには、内容は差別語に終始はしていない。日本には言霊、あるいは事霊とも言うべき信念があって、悪い言葉を使わない、イミナなどのようにその人の本当の名前は言わない。平安時代の女の名前が「○○の娘」などとなっているのは、名前がないわけではなく、その名前を告げることを避けたためだと。

これを読むとわたしが思い出すのは『ゲド戦記』だ。「真の名」を知ることが、そのものに魔法をかけるときの必須の条件。黄泉の国をたずねたゲドが、自分と世界を脅かしてきたものの本質を呼ぶ。「ゲド」と。そこで影との一体化が果たされ、ふたたび世界はまったきものになる。あるいは最近であれば、岡野玲子さんの『陰陽師』の「呪」も、同様に、思い起こされるのだが。

ローマ人の物語との比較でも考えてしまう。市民が軍団兵を構成していたのに対し、なんと、日本においては、早くも792年に天皇制は軍隊を放棄する。国軍がないという伝統は、それから1000年以上も、すなわち明治時代になるまで国軍の編成は行われなかった。時代は、まだ坂上田村麻呂を派遣して、蝦夷と戦わなければならないようなときであったのに、健児制という、地方自治兵の招集によって軍隊を組織するような方法に変わるのだ。。124
ローマ人の物語で言うと、属州独自の軍隊があって、それらを召集して対外戦争をするという形だということだ。
そのあたりのことについて、井沢は「言霊」で説明するのだが、平安京と言い、太平記と言い、軍、乱、戦などの言葉を言えば、それに支配されるし、現実化すると言う考え方があったという。特に、天皇の言葉には強い力があったと、考えられていたし、建武という元号ですら、貴族には不評であったらしい。そしてその心性はいまだに祝詞などに限らず、一般にも引き続いていると。

それが自衛隊を認めない態度であり、穢れを忌み嫌うところからくる部落差別であったと。自衛隊に勤務している人は、何を守るために自分たちが存在するのか、信念をもてないのではないかと言う。

平和を願い、祈る言語をあやつる象徴、あるいは権威であった天皇が、国軍の総帥になったのが、太平洋戦争の敗因だというのであれば、とてもよくわかる本であった。現実を議論することができないからね。
しかし、下々、という概念が存在する世界のことだと思いますが、までが、日常的にそのような言霊に支配される、されていた、されている度合いは、他の文化より強いというのは、違うと思うな。
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by eric-blog | 2004-11-11 10:17 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)
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