人気ブログランキング | 話題のタグを見る

オトコ社会の無議論性

2008年3月21日に書いたことなのですが。

進歩がないなあ、このごろ。わたしも、時代も。

「民主主義が根付いていない社会に、ていねいに社会を作り変えるマネジメント型官僚機構などありえない」

日本の官僚機構はよく機能していると評価されますが、それはあくまでも「護送船団方式」で、ビジョンを持って火事場の糞力を出すようなリーダーシップの場合。「トップダウン」のトップがぶれない場合の構想力とそれに基づくリーダーシップ。
いま、問題にされている「官僚機構」における意思決定の不在とは、「トップ」が二重にぶれている点だ。経済産業省には「地球温暖化防止」の「トップ」の意思などどこにもない。経済発展が、まだ「トップ」なのだ。
社説を読んでも、この「トップ」のぶれのことにしか言及していない。これは「力」の論議でしかない。
この無謬性についての議論が持ち出しているのは「男性中心主義」社会の問題点だ。「男性中心社会」というのは、ごく普通のオトコが、集団の中で、年功(年齢と功績という意味で)によって序列化され、過大に上位になるシステムのことだ。
つまらないオトコが、つまらないことを言っていて、その度に喧嘩になる、ないし、喧嘩するほどの距離には相手がいないという状況にあまたいたことがあるが、腹立たしい限りだ。きっと、こんなことが日本の組織のどこででも起こっているに違いない。
無謬性というのは、「オトコ中心社会」そのものが秘めている病であることまでは看破できない評論氏の限界が、すでに問題のすり替えとなっている。どこの組織に、いまだに天皇が君臨しているのか、どこの組織にいまだに「お上意識」が存在しているのか? 居ないし、影響していないし、関係ない。身近に存在するのはオトコだ。それを分析せずに、何がわかるというのか。
年功序列の世界は、議論不能な社会である。そこにあるのは儀式、ペッキングという上下を確認する儀式のつらなりだ。どれほど多くのコミュニケーションが、この関係性の維持のために費やされていることか。それが機能不全に、ほとんどの人を追い込んでいく。自分を表現することばと機会を奪われるからだ。人に与えられたエネルギーには限界があって、どこにどれだけのエネルギーを費やすかは、集団的伝統的に決定されているからだ。

過大なオトコでオトコがありたい、あらねばならないとしている以上、無謬性の病は癒されない。
いま、求められるのは「ていねいに、下からの意見の吸い上げと違和感を受け止めつつ、持続可能性の方向に向けて、舵をキル」官僚。持続可能性というビジョン、大志はぶらさずに、しかし、ていねいに、物事を考え抜いていく姿勢だ。
力を付与されることで過大性を獲得するオトコが、何を民主的に考えることなどできるのか。教えてほしい。
ちなみに、昨日紹介した「はじめての質的研究」の著者の一人、伊藤哲司さんは、ベトナムから帰ってきて、日本社会に再馴化する時に、異常なストレスに見舞われたそうです。「気の置けない近親者」と「気を使わなくていい他者」という「世間」という気を使う存在不在のベトナムはとても楽な社会だったのだそうです。なるほどね。
日経BP
 無謬を前提に作られたシステムはいかに精緻でも、1度失敗が起こると脆く、混乱する。システムの動揺に直面してどうしたらよいのかわからなくなるので、危機感が強調される。「危機を乗り越えるために総員必死になって頑張れ!」という展開になってしまう。無謬信仰と危機感強調カルチャーはこうして並存しているのではなかろうか。

無謬信仰が権力構造におけるリーダーシップ不在の核心
 ここまで考えて、はたと気がついた。日本人のこの根強い無謬信仰は、権力構造におけるリーダーシップの不在とも結びついているのではないだろうか。
 現実には無謬であり得る権威、権力は存在しない。無謬であり得る唯一のあり方は赤子のように無力化してしまうことである。権力を神聖化、無謬化するためにその頂点は無力化し、実際の権力の執行は下位の者によって代行される構造が生まれる。失敗はすべて、代行者、輔弼(ほひつ)者の責任となれば、頂点は無垢、無謬でいられる。
(中略)
 同時に、閉塞を生み出している根底に無謬信仰があるのだから、私たちはまずこれを捨てることから始めよう。「失敗ゼロからの脱却」である。
 最初に引用した畑村洋太郎が言っている。「決められた設問への解を最短で出す方法、『こうすれば上手くいく』、『失敗しない』方法を学ぶことばかり重視した教育からは、創造力を養う機会は生まれない」──。
 昨日までの成功が明日の成功を約束しなくなった今の時代、失敗から学習し、自ら課題を設定して挑戦を繰り返すことを称えようじゃないか。せめて自分の部下、子供、自分が関係する若い世代、そして肝心の己自身にはそうした気持ちで接することから始めよう。
by eric-blog | 2011-02-07 21:55 | ☆よりよい質の教育へBQOE
<< 減速して生きる ダウンシフターズ ファシリテーター100の概念 4  >>