365-2(1572)スポーツ障害から生き方を学ぶ ケガをめぐる競技者たちの語り
杉野昭博、生活書院、2010
たぶん、同じ頃、大学院にいたはず?
文化人類学専攻と、履歴にはある。
2007年に出した『障害学』という大学院レベルのテキストを学部レベルのものに、当事者の体験や語りを取り入れて書いたもの。
最近、北原恵さんの名前もジェンダー系で見るし、同世代、同エリアで接点があったかもしれない人びとが活躍していて、心強い。
「当事者研究」ということで、浦河べてるの家との出逢いがあるのもおもしろい。ケガをだましだまし、競技に向うスポーツ選手が、試合当日体調に裏切られてしまう、それが統合失調症の人が社会復帰しようとする時に起こることと似ているのだ、とも。
ケガさえなければ、あの時、ああしなければ。ケガをした自分を攻め続けるかぎりは、そこは無間地獄なのだ。いまの自分を受け入れること。
著者は、障害という範疇が広がってきている。その結果、ほとんどの人が障害者だと言えるほどであり、障害者支援はユニバーサルな支援を考える方向になりつつあるという。
「障害者」としてより強い支援を受けていた人にとっては、それは「既得権」を脅かされるような議論かもしれないし、「健常者」というレッテルに安住していた人にとっては、境界線のあいまいさは、自身の、改めて問うたこともないアイデンティティの脅かしとも映るかもしれない。
著者は、共生の社会とは「がまん比べ」なのだと表現している。うーーーん、よくわからないニュアンスなのだが。「既得権の我の張り合い」、がんばることと、やせがまんとの綱引きのようなものか。
体育と言えば、徒競走。そして徒競走と言えばベッタ、でしかなかったわたしには、何やら遠い世界なのではありますが。
当事者の語りを「紙芝居」にしているのが、教材的には、とてもすごいアイデアだと思った。やはり、スポーツによる障害は、どこか明るい。その感覚はどうこから?