349-2(1515)目に見えない資本主義 貨幣を超えた新たな経済の誕生
田坂広志、東洋経済新報社、2009
ワールドシフト・ジャパンの4月24-25日記念シンポジウムでの発題者の一人。
そのことを紹介するための渋谷イベントの映像。これはなかなかおもしろい。
http://www.ustream.tv/recorded/7036593
そして、この本のいいところは、次のフレーズに尽きる。
「この危機が過ぎ去ったとき、世界は何も学ばないのではないか」
という根源的な問い。
病に対して、症状の鎮静化だけが残って、「生命システムの進化」が起こらないのではないかという危機感。それが根源的な危機感だという。
わたしたちが病を得るということは、健康が回復すればいいというのではない。
「生命システムの進化」これは、生活習慣病なのだとわたしが常々言い続けてきたことを、より質の問題として明確に表現したよい言い方だ。すべての病ではなく、成人病のことだとわたしは感じるが。健康の回復だけですむ病もあるのだろうから。
ま、ささいなことは置いておいて。
わたしたちには、「目に見えない資本」がたくさんある。(これはヘーゼル・ヘンダーソンが言っている二段重ねのケーキの土台のことだよね。)
その新たな資本主義に向けて、5つのパラダイム転換があるという。25
「操作主義経済」から「複雑系経済」へ
「知識経済」から「共感経済」へ
「貨幣経済」から「自発経済」へ
「享受型経済」から「参加型経済」へ
「無限成長経済」から「地球環境経済」へ
トフラーは『パワーシフト』で、物理的力、貨幣的力、知識的力のパワーシフトを言い、知識的力の社会における統合の原理として「愛」があると言った。
田坂論については、その点をもう少し考えてみたいけれど。
でも、「参加型経済」なんて、諸手をあげて大賛成!
だ。
そのために、教育は、というか学齢期の過ごし方はどう変わればいいのだろうか。だって、彼らはいまや立派な「資本家」だよね。というか、子育て期を卒業してしまった者としての実感は、「あの時代こそが、消費者マックスの時代」だったと言えるんだからね。その時代、そのライフサイクル期に対する提言なしで、資本主義は語れない。そのことなんだけどなあ。